純正律は本当に旋律的に不向きか?

 いくつかのホームページを開いて見て、純正律について必ず書かれている「純正律は旋律的に不向き」との言葉。 最初は「なるほどそうか。」と思っていたのだが、実際に純正律を目指して練習していると、次第に疑問を感じるようになってきました。
 確かに純正律は全音、半音(この表現にも抵抗を感じるようになりました)とも2種類あって、表記は同じ(似ている)なのに音程の幅が違うという事は確かに妙な事でしょう。
 ところで、年表の通り、昨秋から各声部毎に純正律の理論値をはじき出して、HD-81を使った音取りテープを作成するようになったので、 純正律によるヨコのメロディーというものを良く聞くようになったのですが、こと主旋律に関して言えば今までの所不自由を感じた事はありません。 今現在はポピュラーソングの編曲を行っていますが、明らかに平均律で書かれたであろう旋律を純正律で弾きながら行っているにも関わらず、です。 もちろん、これは私の耳が悪いせいなのかもしれませんが。

 「耳が悪い」というテーマについてはこんな実験をしてみました。
 HD-81の音階を平均律にしてCdurの音階を上行、下行と弾いてみる。そして、その音階の内ラの音だけを下げて弾いてみて、何cent下がった所で低いと気づくか?
 この実験の目的は「人は旋律の中でどの位音が外れれば(楽器等を使わずとも)違うと認識するか」という事です。

 結果として私は20cent外れていても違うとは認識できず、明らかに認識するには25cent近くまで外す必要がありました。 Singleのメンバーにも行ってみましたが、ほぼ同じ結果が出ました。
 という事は人の耳はかなりの誤差を許容するので、多少の高低は気にならない。そのため、純正律でも旋律が不自然と認識されないのだろうか? と考えられました。
 ところが、そうとも言えない事態が起こりました。

 最初に書いた「旋律の理論値化」を初めて行ったのは当時練習していた「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」(プーランク作曲)�V、�Wでした。 音取りテープを作成するため�Wを純正律音階で弾いていると、一個所妙に低く感じる所がありました。冒頭のテナーソロの最後の方で、F音まで上がる、その最高音がなぜか低く感じました。 これはかなりの違和感で、このまま演奏したら誰が聞いても低いと指摘されるであろう程でした。試しにそのF音を21.5cent上げてみても一向に違和感は変わらず、 どうしたものかと疑問に思っていました。
 そんなある日、作曲家玉木宏樹氏のホームページを開いて見ると「純正律セミナー」が更新されており、その中で「ラの音が低い」との記述があったので、 それを参考に(�WはGmolなので)ラにあたるEナチュラルを21.5cent上げて見ると見事に良い旋律になりました。 つまり、この21.5centの差を人の耳は明確に認識していたという事になります。

 それではやはり純正律は・・・というのはまだ早い。上記はあくまでキッカケで、実際は違いました。
 楽譜をよく見てみると、冒頭は♭が2つあり、問題の箇所ではじめてEにナチュラルが付き、その次の小節で両方ともE、Hとなっています。 最初はGmol−Gdurの転調だと思っていたのでそのまま弾いていたのだが、その問題の箇所を♭一つと考えて見ると・・・Dmolが間にあると考えられる事になる。 Dmolならば21.5cent上がるのは当然(おまけコラム巻末表参照)という事になる。
 つまり、この一連の作業によって導き出された仮説は

・たった一つの旋律にも「この調である」という明確な意志が内包されているのではないか?
・プーランクが純正律を意識して作ったのではないか?

という事でした。

 このテーマについては今後も演奏上で問題になって来ると思われますので、度々取り上げてみたいと思っております。


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先日の実話より

 先日、ボイラーの修理をした時の話です。
 修理そのものはすぐに終わり、動作確認のためしばらく試運転する事にした。その仕事先が休みの日であったため、 誰もいない仕事場にボイラーの音だけが響いていました。
 ふと、そのボイラーの唸る音が一定の音程である事に気付き(A位でしょうか?私には絶対音感もないし、 音叉も持ち合わせていなかったので正確には判りません)、試しに適当な音をハミングで鳴らすと見事に完全五度でハモりました。 それが、余りに気持ち良い響きだったので面白くなり、この音は?この音は?と、 長三度、長二度、完全四度と次々にハモらせて楽しんでしまい、ついには
「そうだ、この機会に短三度の感覚をつかむ練習をしよう。」
と、音感の練習まで始めてしまう始末。
 ふと気が付くと試運転を始めてから40分も経過しており、実に30分もの間ボイラー相手にハーモニーを作って一人悦に入っていたという訳です。 もし、誰かに見られていたら・・・、あ、怪しすぎる。(^^;)

 以上、純正律マニアの怪しい行動でした。


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「絶対音感」について

 先日合唱団Palinkaの演奏会に行った折、以前から読もうと思いながらそのままにしてあった「絶対音感」(最相葉月著 小学館) の読破を成し遂げました(なにしろ往復15時間もありました)ので、感じた事等を綴ってみたいと思います。

 以前から評判になっていた本ではありましたが、私自身は絶対音感に否定的な感情(多少やっかみもあるかも)を持っていたので、 それほど興味があった訳ではなく「人から借りて読めばいいさ。」位の感覚でした。
 ところが、玉木宏樹氏のホームページでこの「絶対音感」を発売前から批判されていたという事を知り、急に興味が湧いてきました。 それも、批判をしている玉木氏自身が絶対音感の持ち主だと言う事で、かなりの説得力がありました。そこで、玉木氏の著書 「音の後進国日本」(文化創作出版)と両方を買って読んでみようという事にしたのがキッカケでした。もっとも、購入したのはいいが、 なかなか読み始める機会がなく、放り出している内に年を越してしまいました。(^^;)

 「音の後進国日本」(実はこちらも電車での移動中に読んだ)はJR中央線、山の手線各駅で流れている音楽の問題を導入として、 日本の音楽教育における平均律偏重(絶対といってもいいかも)主義への警鐘と純正律音楽(ミネラルミュージック) の重要性について説かれており、私としては平均律偏重主義に至った歴史的背景の説明と、 ドレミの音階の成立する過程を音楽史の視点から説明された箇所が大変興味引かれました。
 この本の中で「絶対音感」を平均律賞賛の本であると批判されているのですが、どうやら「絶対音感」 の冒頭部のみをサンプルとして転載した雑誌の記事を元に書かれたらしいので、「絶対音感」そのものの評論とは言えません。 私も冒頭部を読んだ時は同じような違和感を感じました。 (ちなみに、全文を読んでの評論もホームページに掲載されています)

 さて、「絶対音感」は音楽界の人々や、人間の脳のメカニズムについて研究している人々へのインタビューを中心に、 絶対音感のしくみや日本の絶対音感教育の歴史、絶対音感と実際の音楽活動における利点、不利点等、 盛りだくさんの内容でほとんど飽きさせない面白い本でした。
 ただし、私のように特異な音楽観を持っている者としては音楽的に引っかかる点があった事も事実。その第一が冒頭部の 「カルミナ・ブラーナ」中のアカペラ曲の音取りなしでの演奏開始の話でした。

 作者に「絶対音感の特徴を象徴的に表した事象」との狙いがあったかどうかは不明ですが、 これが絶対音感の有無とは全く無関係である事を知っている者からすれば、この一文を読んでかなりの違和感を感じた事でしょう。 ヨーロッパにおいては珍しい(「絶対音感」ではそういう事になっている)事でも、 日本においてはちょっと気取った合唱団ならば団員に絶対音感があろうとなかろうと良くやっている光景です。 数年前の早慶交歓で慶應義塾ワグネルソサィエティー男声合唱団が「雪と花火」を全曲音取りなしで演奏していますし、 我々グリークラブ香川もアカペラのミサ曲を音取りの回数を減らして演奏した事があります。 勿論、絶対音感は関係ありません。グリークラブ香川は私を始め、絶対音感を持つ人間はほとんどいない筈ですし、 曲と曲の繋ぎを少し練習しただけでできました。
 指揮者はおそらく、「70人もの団員の音を統一するために絶対音感を持つメンバーに音を出させた。」という意味で言われたのでしょう。

 私はアカペラの曲を絶対音感で音取りする等という恐ろしい事は考えられません。

 批判はこれ位にして、本書と私の音楽観が関わる部分について考えた事を書いてみます。


ミッシング・ファンダメンタルとハーモニーについて

 この本でもっとも興味を引かれたのは「音程の認識は耳ではなく、脳で行われている」という事実でした。 つまり、440Hzの音を聞いているからラと聞こえる訳ではなく、元の音の有無はともかく倍音にあたる周波数の音をいくつか聞いた上で、 それを過去の経験等から適度に分類する作業を行った後、脳がラであると判断を下すらしいという事です。 (これが上記の名称で表現される現象である)
 これをハーモニーの視点から見ると、 「1と5の周波数比率が2:3だから完全五度のハーモニーに聞こえる」 という単純な図式ではない気がしてきます。実際、私が音叉の音(倍音を含まない純音)に合わせてハーモニーを作ろうと練習しても、 そのハーモニーが余り明瞭には聞こえて来なくて苦労したという事がありました。
 私の感じるハーモニー感覚とは、他の音と自分の出した音が正確に重なる事によって生ずる一体感であり、 その周囲に漲る、あたかも空間に一本芯が通ったかのような充実感を指しています。 が、しかしその時はそのような感覚を得る事が出来なかったため、余り練習になりませんでした。

 ところが、前回の話のようにボイラーの音に合わせた所、前述のような気持ちいいハーモニーが得られたという例があり、 「ハーモニーが良く聞こえるのは倍音の影響による」という可能性は高いと思われます。
 あくまで仮説ですが、
「お互いの音に含まれる倍音の内、共通する周波数が増幅される事によって”ハーモニー感”というものが形成される」
と言う事かもしれません。

 さらにミッシング・ファンダメンタルの興味深い所は「倍音列の一部が微妙にずれた周波数を含んでいても、 脳で行われる分類作業によって同じ音程と認識してしまう。」 という下りでした。しかも、本文中で例に挙げた周波数配列の内、 相対的にはずれた音の誤差のセント値がざっと13.8セント以上であるというのが面白い。

 つまり、下表のように純正律の場合はお互いの倍音の周波数が一致する所があるためにその周波数成分が増幅されて”充実したハーモニー感”を感じる。 しかし、平均律の場合はその部分は一致しないため”充実したハーモニー感”を感じる事はないが、 脳内における周波数分類作業によって同じ音のカテゴリーに分類されるために (2200Hzと2217Hzの誤差のセント値は13.685centで、前述の「絶対音感」中の周波数配列の誤差のセント値より小さい) 「この和音の周波数配列は長三度の響きである」と判断されているという事である。

純正律の長三度(440Hzのラと550Hzのド♯)
ラの倍音440880132017602200
ド♯の倍音550110016502200
一致
平均律の長三度(440Hzのラと554.365262・・・Hzのド♯)
ラの倍音440880132017602200
ド♯の倍音554110916632217
一致しない

 以上のように平均律の和音の場合、周波数比率は単純な整数比にはなりませんので前述の純正律のように共通する周波数が増幅される事はないのですが、 多少の誤差を含んでいても同じ音程と認識するシステムによって、 和音もまた(響きの違い位は分かるかもしれないが)純正律でも平均律でも「同じような響きを持つ同種の和音」 と認識されている可能性があるという事です。
 ピアノのような音が減衰する楽器は一瞬の音で和音を判断するために、誤差のある音でも音楽上の問題は少ないようですが、 それはこのような脳の働きによって実現しているようです。


移動ド唱法・固定ド唱法論争について

 長年に渡り教育界で上記テーマの論争が続いており、 その歴史的背景と現在の教育現場の混乱について詳しく記述されていましたが、それについて思う事を少々述べます。
 本書中では、文部省サイドの移動ド唱法と、 幼児英才教育の一つである絶対音感教育の固定ド教育が同じ音名表現法である「ドレミファソラシド」を用いた事が、 そもそもの問題であったという解説をされていました。さて、それだけの問題でしょうか?

 私共Single Singers(以下SS)には絶対音感保持者はいない筈ですが、移動ド唱法を行っているのは田中と私だけで、 他のメンバーは概ね固定ド、もしくはラララで歌っています。実は私自身、学生時代までは固定ドで歌っていました。 移動ドに替えたのはSS結成前後でしょうか、つい最近の事です。別に絶対音感があった訳ではなく、まあ、 移動ド読みを覚えるのが面倒だったという側面はありましたが、大学1回生の時に楽典をきちんと学んだので、 その頃にはすでに技術的には歌えるハズであったにも関わらず、約10年間ずっと固定ドでした。

 本書中では「専門教育で固定ドを学んだ人達が教育者になっているので、若い音楽教師は移動ドを教えられない」との記述もありましたが、 私の小学校時代の音楽教師は移動ド唱法を(ほんのさわりだけですが)上手く工夫して教えていたので、 音楽知識として教えられないという事はないと思われます。

 そうした、移動ド唱法が出来てもおかしくない教育状況で過ごし、 また絶対音感があった訳でもないのになぜそれほど固定ドに拘っていたのか。それは、小、中学校で学んできたリコーダーの影響でした。 リコーダーを吹くために楽譜を読む必要が発生したからです。
 学校教育での音楽をしていると、歌を歌うためには楽譜を読む必要はありません。 先生が弾く楽器の音に声を合わせればいいのですから。しかし、楽器を使う時はそうはいきません。 リコーダーで正確な音を出すためには、楽譜の音を読んで、それに合わせた指使いをする必要があります。
 ところが、このリコーダーという代物、ハ長調を吹くにはいいが(バロック式になってからファが面倒になりましたが)、 記号の付いた音を出そうとすると厄介な指使いをする必要があるので、 「よけいな記号は付くな」と祈りながら楽譜をめくった記憶があります。・・・ちょっと脱線。
 そんな訳でリコーダーを吹くために、まずハ長調の(記号の付かない)音、そして記号のある音というように楽譜を読む癖が付きました。 また、私は中学時代にある事からバスリコーダーを吹いていた時期があり、それで初めてヘ音記号なる物を見て、 「ドはここだからこの音は・・・、ソだな。書き書き。」等と一から読む訓練をするハメになったので特に影響は大きかったと思います。
 つまり、いかなる調の音楽であろうと「絶対音のドには必ずドの指使いをする」という行為が続いたために、 「ドは常にドである」という絶対音感保持者とほぼ同じ概念が植え付けられてしまった訳です。

 そうした経過があったせいか、高校から始めた合唱においても(バス担当だったので、 これもヘ音記号ですね)固定ドを継承してしまいました。 また、自分で音取りをするためにピアノを弾くようになったのですが、ここで固定ド読みは大いなる威力を発揮して、 練習の助けとなりました。なにしろ、自分の読んだ音がピアノの鍵盤とほぼ1:1で対応しているので、 その音の通り弾く事で音取り用に1パートを弾く位の事は可能になります。 そうした思わぬ効果もあり、固定ド読みは私の中で習慣として完全に定着してしまいました。

 このように、現在の若手メンバー間で絶対音感の有無に関わらず固定ド唱法が定着したのは、 むしろこうした器楽教育の影響ではないかと考えます。
 器楽教育において、リコーダー等といったハ長調とそれ以外の音で指使いが明らかに違う楽器を用いているために、 楽譜を読む時にも絶対音としての「ドレミファソラシド」を中心に読む癖が付いてしまう事が原因ではないでしょうか。 本書で指摘されていた学校教育と専門教育との軋轢よりも、こうした教育カリキュラムの方が深い問題だと思います。

 以上の事を踏まえた上で学校教育を考えると、移動ド唱法を推奨するならば、 器楽教育においては移調によって演奏法に明らかな違いの発生する楽器を用いるのは不適切です。
 移動ド唱法の狙いは「調が変わっても音程の相対関係は常に一定」という事にあると思われます。 その点から考えると、調の変化に対しては押さえるフレットをずらす事によって対応できる、 ギターやマンドリンの方が適切であると言えるでしょう。

 ところで、私が半ば習慣化していた固定ド唱法を捨てて、 移動ド唱法を用いる様になったのは純正律音楽を志向するようになったからでした。 それまで色々な形で自分の身に焼き付けられて来た平均律の音感を自ら破壊して、 少しでも純正律の音感に近づけて行こうという想いから採用しています。
 ただし、短調においては「ラシドレミファソラ」とは読まず、 長調と同じ様に「ドレミ(♭)ファソラ(♭)シ(♭)ド」と読んでいますが(^^;)


日本音楽教育の弊害について

 「音の後進国日本」(玉木宏樹著 文化創作出版)、「絶対音感」にそれぞれ、以下の記述があります。

「日本の音楽教育に平均律ピアノを用いた事の弊害として、平均律偏重主義が発生した。」(「音の後進国日本」)
「平均律ピアノを用いた幼児英才教育によって、日本は世界一の絶対音感保持者を持つが、 反面、音に対する柔軟な思考に欠ける。」(「絶対音感」)

 共通しているのは「日本では平均律ピアノを音楽教育の基本とした」という事実。 (両著ともそれが悪かったと言っている訳ではありませんが。)これらの記述を読んで少々苦笑してしまいました。
 多くの人々に新しい音を教えようとする時には、面倒くさい理論を長々と述べるよりも具体的な音を示して「これだ!」 と言うのが一番手っ取り早い訳で、西洋音楽を取り入れ始めた日本人達が広く国民に伝えるために平均律ピアノを用いたのは、 非常に効率の良い方法だったと感心させられます。
 私自身も純正律を実践するためにHD-81で具体的な音を示すという方法をとっており、 (別に練習中にこのHPのような細々とした理論を述べている訳ではありません。・・・でもないか(^^;)) そうした手法を選択するに至った思考には非常に共感を覚えました。


故武満 徹氏の言葉

 「絶対音感」中、武満氏に「日本人の音感の平均律化を危惧する」という意味の言葉がありました。 これは私にとってかなりドキッとする言葉です。 試しに自分の音感覚を以下のように注意深くチェックしていくと、 いかに平均律基準で音楽を聴いているかという事実につきあたり、呆然としてしまいます。

某合唱団の演奏
 先日某合唱団の演奏を聴いた時に、
「この合唱団は、協和音はハモらないが、不協和音はキレイにハモッている。」 と、奇妙な感想を持ちました。
 協和音については純正律の音感が養われて来たせいか僅かな違いも良く分かるのですが、 不協和音についてはそもそも平均律でしか聞く機会がなかったせいか、間違ったようには聞こえない、 それに加えて日本では珍しい、良くハモる声を持っている合唱団でしたので、重ねた音が非常に美しく聞こえた、という事です。

短三度の音感
 自分が未だに掴めない音感が短三度です。ハモッた感覚が余り明確に感じられない事から苦手意識のある音程間隔です。
 HD-81で理論通りの音程でハモッてみると意外に充実した音である事が感じられますが、 困った事にそのハーモニー感に対して違和感を感じている自分がいるのです。 また一方、自分が「この位が短三度上だろう。」というつもりで取った音が、実際にHD-81の音と突き合わせると明らかに低く、 平均律の音程とほぼ同じでした。
 つまり、「余り明確でないハーモニー感覚」というのは平均律の短三度感覚であり、 単に私が純正律の短三度のハーモニー感覚を認識していないという事。 それどころか純正律を受け入れられない程、平均律の短三度感覚が自分の身に焼き付いているという事です。
 その事に気付いた時、自分の硬直した(平均律の)音感を思い、背筋が寒くなりました。

日本独自の旋律に触れる
 先日、ラジオを聞いていると日本民謡を紹介している番組があり、聞くともなく聞いていると、 ある唄がかなり音程が外れたように聞こえてきました。 最初、その音に違和感を感じていたが、ふとそれが自分の平均律音感から来ているのではないかと考えて反省し、 唄の自在な音の流れを肯定しながら聴いている内に、名著発見の回でのK氏の問いかけの意味を思い出し、
「これこそ、音律に囚われない本来の唄の姿である。」という事に気付く。

 しかしながら、その後流れた別の地方の唄は違和感なく聞き取れる。 この事は民謡の世界でも音感の平均律化が着実に進行している事を実感させて、将来への不安を感じました。
 かつて、バルトークやコダーイが録音機材を抱えて民謡の収集に奔走したという話を聞いた事がありましたが、 今ならその情熱が理解できる気がします。私もこのラジオを聞きながら、 「日本各地の民衆が伝えてきた旋律を保存するため」に録音機材を抱えて飛び出したくなる衝動を感じました。


 以上のように、絶対音感を持たない私でも、 これまでの音楽体験の中で知らず知らずの内に平均律の音を音楽の基準として刻みこませているという事実が浮かび上がって来ました。 幸いな事に、純正律を考えて実践し、また本HP等を通じて様々な人から教えを受ける事によって、 自らの音に問題意識を持てるようになりました。

 自分達の音に対して常に問題意識を持つという行為を続ける事によって、オクターブ12等分という20世紀音楽の呪縛から解き放ち、 無限の音の可能性へ回帰する糸口を掴むという意味では、 私共Single Singersの活動もそれなりに意味のある事ではないだろうかと考えています。


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意志の調律

 今回は学生時代に出会ったピアノについて語ってみたいと思います。

 1987年、私は茨城大学の入学式当日に混声合唱団に入団したので、数日後の新歓コンサートに乗るための練習に参加しました。 (結果的には新入生という事でステージには乗れませんでしたが)その時練習した曲に、池辺晋一郎作曲「風の子守歌」があり、 その内の一節「あの日の幸せと〜」という部分を歌っていた折、 その最後の「と〜」に降りるために(バスパートはD♭からG♭に跳躍下降する)それまで培ってきた音程感覚で完全五度下降した所、 ピアノの音より随分低い音になってしまいました。ピアノの音を調べるとそのG♭−D♭の五度だけが微妙に狭く、 奇妙なハーモニーになっていました。
「これはおかしい。どういう音に合わせればいいんですか?」と先輩達に詰め寄りましたが、 歯切れ悪く「ピアノの音に合わせるように」との答えが返ってきたのみでした。
 確かに演奏上は特に違和感を感じる事もなく、他に誰も異を唱える者がいなかったので結局その話はそこまでで終わってしまいました。 (今考えると鈍感な耳だったと恥じ入るばかりです)
 そんな奇妙な調律と出会ったのは後にも先にもその時だけですが、 それ以来、私は長年ピアノの調律に対して僅かながら疑惑を感じていました。

 音律に詳しい方ならば、ここまでで気付かれたかもしれません。
 前述のような経験から12年が経過し、色々な音律も知った現在では、ある仮説を立てる事が出来ます。すなわち、
「そのピアノはピタゴラス音律で調律されていたのではないか?」
という事です。

 ピタゴラス音律とは、ある一つの音を基準に完全五度上の音を順に11回定義して、それらの音をオクターブ内に並べ替えた音階です。 (乱暴な説明だなあ)
 例えばCの音を基準にすると、完全五度上のG、その上のDと決めていき以下、

C−G−D−A−E−H−F♯−C♯−G♯−D♯−A♯−E♯−H♯

となり、12回目に定義したH♯は最初のCの音より23.46cent高い音ですが、これを同じ音と見なして定義を打ち切ったのが、 オクターブを12分(等分ではない)するピタゴラス音律です。

 この音律の利点については後に少し述べるとして、欠点は最後に登場するE♯−Cが完全五度よりも狭い和音となる事です。 ピタゴラス音律が主に使われていたローマ時代からルネッサンスにかけては、 この狭い五度を使われない音程間に置く事によって対応していました。 それを踏まえると、前述したピアノのG♭−D♭に狭い五度が振り当てられていたと考えると辻褄は合います。
 調律の方法を検証して見ましょう。Aを基準にして、完全五度上下の音を定義していきます。

完全五度上の音 A−E−H−F♯(=G♭)
完全五度下の音 A−D−G−C−F−B−E♭−A♭−D♭

通常の平均律調律の場合はこれらの完全五度を純正から少し狭めるようにしていますが、 ピタゴラス音律の場合は上記の音関係を総て純正の完全五度で合わせます。

 では、この仮説の音律をHD-81上で表現してみましょう。 おまけコラムの巻末表と補足表から、 Fisdur−Desdurの各調の�Tの音を取り出して並べます。

音階
CD♭DE♭EFF♯GA♭ABH
-5.8-15.6-1.9-11.7+2.0-7.8+5.9-3.9-13.70.0-9.7+3.9

 この音律のF♯−D♭間は

(1300-15.6)-(600+5.9)=700-21.5

となり、純正の完全五度(700+1.955)よりもかなり狭い音間隔になる事が判ります。
 これで、「風の子守歌」の例の部分を弾いてみるとあの時と同じ旋律の違和感を体験できました。 和音に関してはHD-81の方がシビアに表現されるせいか、F♯−D♭間を含む和音はかなり濁って聞こえました。

 さて、ここまでは当時の音律を再現していた訳ですが、それではなぜ調律士はこのような調律を行ったのでしょう。 私自身、つい先日この事に気付いた時は単に調律士が手抜きをしたのではないかと思ったのですが・・・。
 単なる手抜きならば完全五度上下の音定義をほぼ同じ回数にすれば一番ラクなハズ。つまり、

完全五度上の音 A−E−H−F♯−C♯−G♯−D♯
完全五度下の音 A−D−G−C−F−B

とでもする事により、D♯−B間かG♯−E♭間に狭い五度が発生する筈。 しかし、この音律はワザワザF♯−D♭間に持って来ているのです。何故でしょう?
 それは、F♯、D♭のそれぞれから完全五度を6回たどって中心にある音を探れば判ります。

F♯−H−E−A−D−G−C
D♭−A♭−E♭−B−F−C−G

以上のようにCから最も遠い所に狭い五度を設定していました。

 ここまでくると「調律士の意志」が感じられませんか?

 さらに補足をしましょう。 「響きの考古学 〜音律の世界史」(藤枝 守著 音楽之友社)によると(この本については次回の本ページにて、 詳しく紹介します)「ピタゴラス音律の狭い五度の周辺で純正長三度に非常に近い音程が発生する。」とあります。
 上記の表で言えばF♯−B間、A−D♭間、E−A♭間、H−E♭間の長三度がこれにあたります。

F♯−B間 (1000-9.7)-(600+5.9)=(400-15.6)
A−D♭間 (1300-15.6)-(900+0.0)=(400-15.6)
E−A♭間 (800-13.7)-(400+2.0)=(400-15.7)
H−E♭間 (1500-11.7)-(1100+3.9)=(400-15.6)

となり、純正長三度の平均律との誤差が-13.7centである事から、かなり近い和音である事が解かります。 (セント理論参照)

 元々、ピタゴラス音律の利点は唯一の狭い五度を除くと全ての完全五度が純正なハーモニーを構築する事にあります。 それに加えてA−C♯(=D♭)、E−A♭(=G♯)という比較的使用頻度の高い箇所に純正に近い長三度が配置されているため、 合唱団員にとって本来大切な感覚である「純正な音程感」を獲得するためによりよい状況を作り出していたという事になります。

 つまり、調律士は僅かに調律法を変える事によって、合唱団員が純正律の音感を学べる状況を作るために、 平均律調律法の応用で調律可能なピタゴラス音律を採用したのではないでしょうか。
 そう考えると、調律士がこの調律を行うに至るまでの心の動き、すなわち、音への拘り、苦悩、合唱団への願い、メッセージ、 そういった様々な思いが伝わって来るような気がします。

 私自身、平均律全盛の時代に何故純正律の音感が僅かでも獲得できたのか不思議に思っていましたが、 もしかすると、この時の音体験が無意識に作用していたのかもしれません。
 またそれは副作用として、冒頭のような疑惑を巻き起こしたのですが、 それすらも、違う音律を提起する事によってそれまで絶対視していた、ピアノや平均律の音程に疑念を起こさせて、 「音に対する問題意識」を発生させる事を狙っていたのではないだろうかと勘ぐってしまいます。

 私がその合唱団にいた頃、ある先輩がこのピアノを指して、
「今のピアノは442Hzが主流だけど、このピアノは440Hzで調律している。」
と誇らしそうに語った事がありましたが、いま私は違う意味でそのピアノと名前も知らない調律士に出会えた事を誇りに思います。
「意志のある調律をありがとう。12年もの月日を費やしましたが、その意志を受け止めます。」

 以上、偶然発見した「不協和な五度」をきっかけにこのような結論にまで広がりましたが、どうでしょう。 ともすれば聞き逃してしまいそうな微小な違いから、一人の人物の姿が、 それこそ1冊の本が書けそうな位、見えて来たのではないでしょうか。


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名著発見

 先日OB東京六連に行った折、 往復の新幹線内で「響きの考古学〜音律の世界史」(藤枝 守著 音楽之友社)を読破しました(またかい!)ので、 その本について語ってみます。
 本書はギリシャ時代のピタゴラス音律から現代の平均律に至るまで、古今東西で作られた各種音律の解説と、 現在の作曲家達による新しい実験的音律、そして著者自身の音楽についての解説が行われています。
 私にとっての本書の最大の魅力は、それまで全く知らなかったアラブの音律に関する詳しい解説がされていた事です。 この音律やギリシャ時代に存在したエンハーモニック音階に登場する微分音程(平均律の半音の約半分程度の音程幅)の存在を知る事により、 「旋律における音感覚」という概念を学びました。

 これまで私は縦のハーモニーばかりを考えていたので、ハーモニーを形成する周波数比率で表せる範囲の音程幅しか考慮せず、 横の旋律線は純正律の音階をそのまま使っていたに過ぎませんでした。
 そのため、本HPの「純正律理論」に興味を示して頂いたK氏と最古の音律「ピタゴラス律」についてメールで議論していた時に、
「ピタゴラスはあくまでも音階を「定義づけた」のであり、「作った」のではない。と思うのですが如何でしょうか。」
と問いかけられたのですが、私はこの問いの本質が理解できなかったのでした。

 おそらくK氏の言いたかった事は、
「ピタゴラスによって定義される以前は、もっと自由な音程幅をもった旋律があったのではないか。」
という事だと思います。
 つまり、縦のハーモニーは倍音列が関係しているので(第三回の仮説参照) 比較的単純な周波数比率で音程幅を表せるが、横の旋律はそれとは関係のない独特の音感覚によって、 好まれる音階が成立していたらしいという事です。
 本書中ではギリシャ時代前期に好まれていた音階として、完全四度の音程幅の間を全音2つ分、半音の半分、 半音の半分という分け方をした音階を提示され、特に半音の半分という音程幅が独特の味わいを持って音楽を特徴づけていたので、 その時代の人々に好評だったという解説をされています。
 また、アラブの音律に関しては、長三度と短三度のほぼ中間にあたる音程幅がアラブの人々に好まれて伝承され、 その地方の音楽を特徴づけているという記述があります。
 いずれの音程幅も音階を定義する時(音楽の記録、再現のため)に周波数比率で置き換えられていますが、 本来、こういった旋律における音程幅は人の耳によって決定されるので、 もっと複雑な表記法を必要とする音程幅(例えば348セントの音程幅とか)であったとしても不思議ではない筈です。

 ところで、以上のように旋律とハーモニーで好まれる音程幅が違うとなると、 第一回で触れた「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」(プーランク作曲) �Wのソロの旋律の問題は別の答えが出てきそうです。再検証してみましょう。
 この旋律はD−E−F−E−Dと進行します。おまけコラムの巻末表を元に各音程間のセント値を求めてみます。

D−E間E−F間両方の音程差
Gmol(修正前)182.3133.349.0
Dmol(修正後)203.9111.792.2

以上の結果から判るのは、全音と半音の音程差がGmolの時の方が著しく狭いという事です。 Gmolの時よりもDmolの時の方が耳にシックリくるという事は「全音と半音の音程差が明確にあった方が旋律として好まれる。」 という結論となります。
 逆に言えば、「最初の旋律には全音と半音の音程差が余りないために違和感を感じた。」という事でしょう。

 また、本書では今後の純正律音楽について解説されているのですが、これは長くなりそうですので次回に語る事にします。
 「第五章 現代の音律」では新しい音楽家達の活動と共に、純正律を志向するようになる過程についても触れられているのですが、 その中の「夢の家−ドローンと暮らす」の項で、 ラ・モンテ・ヤングが「亀の水槽に取り付けられた空気用モーターの音に合わせて声を重ねてみた。」という下りには、 第二回の自分の行動を思い出して苦笑してしまいました。


 本書の後半では今後の純正律音楽について解説されているのですが、 7、11、13といった他の素数を使ったハーモニーの可能性について語られた箇所にもっとも興味を引かれました。
 「他の素数の可能性」について説明しましょう。私自身「純正律理論」を考えている内に気付き、 K氏とのやりとりの中でようやく構成されていった事です。

 音律はピタゴラス律にみるように、縦のハーモニーに起因する周波数比率によって作られていった訳ですが、 その際に利用された周波数比率を挙げて行きます。
 まずオクターブ、1:2の比率です。ここで2という素数が登場します。
 続いて完全五度、2:3の比率。そして、その逆の完全四度、3:4の比率。 ここで重要なのは、どちらも2と3という素数の組み合わせた比率という事です。 これらを組み合わせる事によってオクターブを12分割するピタゴラス律が完成する訳ですから、 ピタゴラス律のいずれの音程間も2と3の積算の比率で表せるという事になります。ここで3の素数が登場。
 ルネサンス時代になって、西洋ではイギリスから入って来た純正三度の響きが音楽に取り入れられるようになります。 これは4:5、5:6という比率を持ち、 その比率を音階に取り入れたのが「純正律理論」の最初に登場する音階です。ここで5の素数が登場。
 つまり、西洋音楽において純正律ハーモニーは全て2、3、5の素数とその組み合わせによって表現できるという事です。 その証拠に「純正律理論」のページに登場する音の周波数比率を素因数分解してみると、 全て2、3、5の積算によって成り立っている事が解かると思います。

 はい、ゴメンナサイ。2、3、5以外の素数が使われている音が二つありました。�W♯高と�Z高の音です。 �Z高(189/100)の音は分子が33×7という形で表せます。�W♯高は�Z高の完全五度上の音ですから当然7を含みます。
 実はこれらの音は私がキレイにハモるようにと勝手にずらして作り出した音なので、 上記の理由から本来純正律には存在しない音なのです。つまり、少々勇み足で間違った事を書きました。 お詫び申し上げます。

 しかし、ここで重要な事は偶然新しい協和音程を発見したという事です。
 自分が考えた理論にもとづいた音をHD-81で現実に鳴らし、複雑な表記の和音の中から美しい響きを見つけて、 その音の正体を周波数比率からはじき出した結果、これまで経験のなかった新しいハーモニーを発見しました。
 この事は、平均律という「既存の概念」から飛び出したつもりでいた自分が、 いつのまにか古典和声学上の純正律という「既存の概念」に囚われていたと思い知らされる事になりました。

 それはさておき、問題はここで登場した7という素数の絡むハーモニーです。 これまで何の疑問も持たずに2、3、5の素数で表せる範囲でのみ純正律ハーモニーを考えて来ました。 しかしながら、7の絡むハーモニーがあるならば、11や13といった他の素数が絡むハーモニーがあってもおかしくはない。 なぜなら、倍音列上に7、11、13といった倍音があるのだから、 その倍音が共鳴する事によって生ずるハーモニーがある筈なのです。
 そう考えた時、私の目の前に新しい音楽の可能性が果てしなく広がって行くのを感じました。 「おそらく、21世紀の音楽はこうした新しい純正律ハーモニーから誕生するのではないか。」と考えました。

 そんな折であったため、本書中で実際にそうした新しい純正律による音楽を作っている音楽家を知った事は大変な驚きでした。 その内容については、是非本書を手に取って確かめて下さい。 今までのオクターブ12音という音楽からは想像できない音の世界が垣間見える事でしょう。
 ではまた。


注意
 本によってはこれらの倍音を具体的な音名で表記している事(Cの第7倍音はB、 第11倍音はF♯、第13倍音はA♭等)がありますが、 それは平均律上での近似値という意味であり、実際には2、3、5の素数で表す事ができないので、 従来の音名では共通する音はありません。
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ハーモニー考察

 最近、なんとなくジレンマを感じています。
 HD-81を購入して以来、自分の頭にあった理論を実際の音にして聞く事ができるようになりました。 そして、確かに協和音は大変美しく、これこそ私の求めていた音だと確信しました。
 ところが、不協和音はそうは行きませんでした。 基本的に「隣り合う2音の音程関係が単純な整数比となるようにする」という考えで微修正していたのですが、 これを行っていると、音程を正確にして行けば行くほど和音が汚くなっていくのです。
 例えば、ギターコードで言う所のG7の和音に純正律補正を加えると、HとFの周波数比率は25:36となりますが、 この比率が生み出す唸りがどうにも気になり、 所謂ディミニッシュコードともなるとこの唸りが重なってどうにも耐え難い響きとなるのです。 この唸りは発声、音程を突き詰めれば声においても再現可能である事は純正律理論の中で述べています。
 こうした不協和音の音の濁りというモノは純正律を考えれば考える程増えて行き、私を悩まして行きました。

 ところが、全ての不協和音が唸るという訳ではなく、時折とてつもなく美しい響きになる和音があるため始末が悪い。
 G、H、D、Aという音で構成される和音がそれで、これは純正律補正を加えると4:5:6:9という単純な比率となり、 非常に美しい音です。97年に東海メール・クワイアーが歌った「Gratia Bobis」の最後の和音がこれで (こちらはバリトンにAが来る密集和音なので8:9:10:12の比率)、 純正律で聞いたこの和音から、私は作曲者の心が伝わって来たような気がしました。
 こんな事もあり、純正律による不協和音の可能性も感じています。

 ところで、色々な演奏会に行ってみると現代音楽等の邦人作品を合唱団がいい響きで歌っているシーンをよく見かけます。 これらの曲に使われている和音は純正律にすると必ずしも綺麗な響きになる訳ではなく、 また、合唱団も厳密に言えば正確なハーモニーを作っている訳ではないのですが(特に短三度は狭い)、 雲のようにぼんやりと広がる和声に何か納得させられるのです。 そして、そんな演奏を聞くたびに何か割り切れぬものを感じます。

 Single Singersでは現在「Finlandia」を練習しています。 この曲は重厚なハーモニーからフィンランドの森や大地を感じるので私の好きな曲の一つです。 また、純正の完全五度や長三度といったハーモニーが効果を発揮するので、SSの練習曲にはうってつけの名曲です。
 先日、曲の要所要所でお互いの音を聞き合い、完全五度や長三度のハーモニー感覚を覚える練習をして、 最後に四声で合わせた所、ずっと練習していた協和音の所は良くなってはいるもののやはり微妙なズレが気になるというのに、 全く練習していないE♭7の展開和音の音が奇妙にいい音になっていた。
 練習していないのだから当然四声は相対的に微妙な誤差を持った状態である。それがいい音とはどういう事だろう。 正確にとった音が唸りのためにいい響きにはならないのに・・・。

 もしかすると適度にハズれた音の方が唸りを分散し、 またハモッた気のする感覚を伴って独特の味わいが生じる、この感覚が狙いなのか?

 そう考えてみると思い当たるフシもある。
 そもそも、現代音楽やそれを扱う邦人作曲家が平均律を基準としているので、 平均律による和音を念頭において作られているであろう事は容易に想像できる。
 また、古典音楽についても、バロック時代に使われていた中全音律やヴェルクマイスター等の古典調律法では、 ミーントーン五度や、調によって微妙に広さの変わる長三度が登場するのだが、 それらの微妙な唸りを持った和音がその時代の音楽に独特の味わいをもたらし、また、作曲者達の創作意欲を刺激したという。
 なんでも、バロックとは「いびつ、もしくは異形なもの」を意味するのだそうで、 この時代の芸術は整った物よりもどこか崩した物を好み、 音楽においては前述のような唸る和音が「異形なもの」として広く受け入れられていたそうだ。
 これらはまた音楽史を詳しく勉強してみる必要がありそうである。

 さて以上を踏まえると、「耳に心地よい不協和音の相対音比率」というモノの存在が予想されてきます。 実はこれについても少々思い当たるフシがあります。
 SSの練習では、簡単な和音やHD-81のない時は音叉の音から自分の音感を頼りに四声の音を取っています。 以前「U Boj」の途中にあるB♭7(第五音省略)の和音の音取りをした際に第三音のDはともかく、 第七音であるA♭の音を意識的に理論値よりも低く取った事がありました。勿論、その方が綺麗に聞こえるという判断があったからです。 こうした「耳にシックリくる音程」を探っていくと不協和音のふさわしい音が見つけられるかもしれません。
 もっとも、これまで作り上げてきた純正律理論を捨て去る必要が出てきそうで複雑ですが。

 こうして見ると、以前の「旋律において好まれる比率」に続いて純正律理論とは違う音律の存在が(可能性ですが) 発見されました。
 まあ、結論としては「耳が好む音が正しい音である。」という事でしょうか。 松原先生の言われた「耳を鍛えよ。」という言葉の重要さを改めて感じます。
 ではまた次回。


 これまで月2回のペースで更新してきた本コーナーですが、 最近締切に追われて、他の未完成のページに手を付ける余裕がなくなっており、 また、ネタ不足等から質的な低下も招いてしまいました。そこで、本コーナーの更新ペースを月1回に落し、 その代わりにどこかのページをランダムで更新する事にして全体の完成度を高めて行く事にしました。 今後とも宜しくお願いします。
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ハーモニー考察その2

 今回は別のテーマについて語る予定だったので、そのための実験を行っていたのですが、 その実験を進めるうちにだんだん前回のテーマに近い思考が湧き起こってきたので急遽変更してしまいました。
 本来は玉木宏樹氏のホームページにあった、 「古典調律法において生じる各調の個性」という字句の意味を探り、 前回軽く触れたミーントーン五度等のハーモニーを体験してみようという実験を行っていました。 (これら、古典調律法の実験については、長いので後述しています。)


 その中で感じたのは調律の困難さでした。純正なハーモニーは音の高さに関わりなく唸りがなくなるので特に問題はありません。 しかし、平均律もそうですが、 ミーントーン五度等の純正でない音程幅の調律時にはこの唸りの回数を聞いて調整するという事がいくつかのHPに書かれていましたが、 実際にHD-81でこの唸りを聞いていると、当然ながらオクターブ上になれば唸りは倍の速さになるし、 C−G、G−Dでも唸りの周期は変わるわけなのです。これを耳で聞いて調整するのは至難の技ではないかと思いました。

 また、色々な調律によって生じる「各調の個性」というものの内容が理解できてくると、
「この調には純正長三度を持って来て個性を際立たせたい。」だの、
「狭い五度を効果的に配置して調による違いを滑らかに移していきたい。」
といった欲も出てきて、自分なりに工夫した音律をいくつか作成して見るのだが、 (HD-81のようなデジタル機器はこういう時には大変便利)どこかに重点を置くと、 当然ながら他の部分にしわ寄せが来てバランスが崩れてしまう。 結局ヴェルクマイスター調律法が「各調の個性」を発揮しつつ、 それらが滑らかに繋がっていて、最もバランスが良い調律法である事を思い知らされてしまう。

 つまる所、調律には程よい加減が重要であるという事か。


 と、一人つぶやいているとM氏より電話がかかってきた。この方は調律士の資格を持っており、 以前にも調律について話を伺った事があったので「渡りに舟」と調律の困難さについて聞いてみる。

 平均律の調律は五度を狭めた唸りを聞いて合わせるという話を聞いた事がありますが、 あれって音の高さによって唸りの頻度も違ってくるので大変でしょう?
「そうそう。結局、最後は自分の勘が頼りだよ。」
(やっぱり。) オクターブでも一番上と一番下で音程の差があるとか。
「そうだよ。まあ、上と下を同時に弾いてハーモニーを聞くような曲はないから。
 それに調律する時は(一つの鍵盤についている)三本の弦の内、一本ずつ調弦していくんだ。 (同じ鍵盤についている弦でも)一本一本微妙に音程を変えるからね。」

 ええっ!
「そうせずに同じ音にしてしまうとカンッ、といった短くて余韻のない音になってしまうんだよ。」
 ・・・・・。
「三本の弦の音程を微妙に変える事によって長い余韻を作りだしているんだ。」
(そうするとこれまで余韻と思って聞いていたのは、三本の弦によって生じる微妙な唸りだったという事か。 そういえば、長く伸ばした1音を聞いていると非常にゆっくりとした唸りが聞こえてきたような記憶もある。)
「それに、そうする事によって平均律の唸りを緩和しているという側面もあるよ。」
となると、その調整はかなり大変ですね。
「大変だよ。微妙に音程を調整して、全体のバランスをとって。 こういった加減は、結局耳と経験が頼りだね。」


 その後、話は流れて合唱におけるハーモニー談義へと移る。

 (Single Singers(以下SS)ではハモるための声を試行錯誤して作っている。)
 人の声というのもハモるように突き詰めて行くと、純正な音程幅からわずかにズレても唸りが明瞭に聞こえてくるようになりますね。 SSでも長三度等で5cent位のズレがあって唸りが聞こえてくると、 メンバーの「人の声を聞いて合わせよう」という努力が良く分かるだけに、指摘するのは心苦しくなります。 (はやりの声にすれば、その程度の誤差は気づかないのに)
「うん。だからうちも必ずしも全員同じ音にしている訳ではないよ。 さっきのピアノの話じゃないけど、 『各人のわずかな音程の誤差(注)から生じる独特のハーモニーの味わいがその合唱団の個性になる。』 とM先生も言っているしね。」
 ・・・!

 という事はM先生は最初からある程度の誤差がある事を意識した上で、協和音、 不協和音とも「良いハーモニー」というものを自身の耳で認識、判断して指導を行っているという事か。 指導を受けた時に、「こういうハーモニーになります。」と言って、 ピアノで4パートを同時に鳴らした和音を聞かせるという事を行っていた。 協和音やディミニッシュコードでそれをやられた時等はそれなりに違和感を感じていたが、確かに不協和音の場合、 私が理論をこねくり回して純正と考えた音よりも、平均律ピアノで鳴らした音の方がキレイなので、 実践的であると言えるだろう。
 考えてみれば、現代音楽は本来平均律を念頭において作られているものだし、 それ以外でも、日本の作曲家は平均律ピアノで絶対音感を身に付けた人が多いようなので、 特に不協和音のような音の多い和音は平均律でイメージして作られている可能性が高いと言えるだろう。 それならば、そうした和音はピアノと同じような音(微妙な音程差を含んだ複数の音によって、 一つの音(ピアノなら鍵盤、合唱の場合はパート)を構成している平均律的な並びの音)で表現する事が本来の姿を再現する事になり、 適切であると言えるだろう。

 つまり、結論としては、実際の演奏におけるハーモニーとは、 協和音を純正にした澄んだ音から不協和音の「総ての構成音を微妙にズラして唸りを緩和した」独特の音まで、 清濁合わせ飲んだ音の集合体であると言えるだろう。

 過去にM先生から多少話を聞かせて頂いた時、理論的な事はほとんど考えていないかのような雰囲気だったが、 前述のような実践的なハーモニーというモノ(協和音は純正、 不協和音は平均律的)を自身の経験から耳で理解しているという事ではないだろうか。 だとすれば、これはまさに「職人芸」と言えるのではないかと思います。

(注)
 ここでの「誤差」とは最大5〜10cent程度の相対誤差を指しています。
 ちなみに私の聴く所、コンクール全国大会出場団体でだいたい10〜20cent、 平均的な合唱団なら最大30〜40cent位の相対誤差で歌っています。


古典調律法の解説と実験について

 第五回で書いたように、 1オクターブ12音という制限の中ではピタゴラス音律のように純正五度調律を続けていくと、 どうしても最後の2音の五度で非常に濁った響きが発生します。 その濁りの原因である23.46centの誤差を12箇所全ての五度に割り振ったのが平均律ですが、それはさておき。
 一方で純正長三度の響きを積極的に取り入れた調律が現れました。 ミーントーン(中全音律)という物で、これは例えばC−E間がピタゴラス音律では407.8cent(64:81)とかなり広い音程幅ですが (そのため、当初は三度は協和音とは認識されていなかった)、 これを純正長三度386.3cent(4:5)に縮めて、その誤差をC−G−D−A−E間の4つの五度に割り振るという調律です。
 これによって登場する五度は696.6centと純正五度からは狭い音程幅ですがこの五度から生ずるうなりは許容できるとされました。 ようするにこの五度を積み重ねたのがミーントーン調律(中全音律)ですが、 結果として最後の五度は737.4centとかなり広い五度となりました。そのためこの五度を含む調は演奏不能です。 それでも、6つの調が1つの調律で演奏可能となり、 また純正長三度の響きの美しさから後に述べる調律法が登場してからも長期間に渡って愛用され、 モーツァルトの好んだ調律でもあるそうです。
 ところで、バッハの時代になるとオクターブ12音それぞれを基音とする調全てを演奏可能とする調律が望まれるようになりました。 そのためにはピタゴラス音律やミーントーンのように決定的に純正から離れる音程間を作らず、 ミーントーン五度のような許容可能な音程幅で12個の五度を重ねて元の音に戻れるようにする必要があります。 (この事を「五度円を閉じる」と言います)こうした調律にはヴェルクマイスター、キルンベルガーといった調律法が有名なので、 それを実際にHD-81に入力してみる事にしました。
 尚、この解説は古典調律のすすめ(MIDIで古典調律を)を参考にしていますが、 直接このHPを見ながら実験を行った訳ではないので、エッセンスは汲んでいますが各々の五度の配置の仕方はいいかげんです。


 まずは、キルンベルガーで入力。
 これは狭いミーントーン五度の使用を4つに限定し、それによって生じた狭い音程幅を純正五度で補正するという物。 その4つのミーントーン五度は五度円の中心部のB−Dに持って来てみましょう。
 まずはAから純正五度下のDを定義し、さらにそのDから純正三度下のBを定義します。
Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
+11.7 -2.00.0
純正長三度純正五度

 BからDフラット、 AからFシャープを純正五度で重ねて行き、 B−D間は均等にしていく。(13.7/4=3.4・・・)
音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +5.8+7.8+9.7 +11.7+8.2+4.8 +1.4-2.00.0 +1.9+3.9+5.8
完全五度の音程幅純正五度 696.6cent
ミーントーン五度
純正五度 700.0cent
純度の高い五度
長三度の音程幅 402.4397.0391.7 386.3391.8397.1 402.5407.8405.9 405.9405.9405.9

 数値入力をしていくと、B−D間で生じた-13.7という狭い音程幅を純正五度がうまく埋めて行き、 両端にあるFシャープ(=Gフラット) とDフラットの五度はかなり高い純度で五度円を閉じる事ができました。こうした、 ミーントーンとピタゴラスという2つの調律が互いの特性を補い合いながら五度円を閉じて行く様子に深い味わいを感じます。

 さて、現実にこの音律でハーモニーを鳴らすと、確かにミーントーン五度はゆっくりとした唸りを生じています。
 現実の鍵盤楽器においてこのミーントーン五度を調律するためには、 この唸りの回数を聞いて調整するという事をどこかで見た記憶がありましたが(これは平均律調律も同じ)、 実際にこの唸りを聞いていると当然ながらオクターブ上になれば唸りは倍の速さになるし、 C−G、G−Dでも唸りの周期は変わるわけなので、これを調整するのは至難の技ではないかと思いました。


 次に、ヴェルクマイスターで入力。
 こちらは8個所の五度を純正で取り、残りの4個所を均等に分割するという物。 こちらでもB−Dに狭い五度を持ってきてみましょう。
 まずはB−D間以外を全て純正五度で取ります。
音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +7.8+9.7+11.7 +13.6 -2.00.0 +1.9+3.9+5.8
完全五度の音程幅純正五度 純正五度

 そして、残りの4個所は均等に分割します。15.6/4=3.9
 また、こうして出来た狭い五度をヴェルクマイスターの五度と呼びましょう。 これはミーントーン五度よりもさらに0.5cent狭い音程幅ですが、これも許容範囲とされています。
音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +7.8+9.7+11.7 +13.6+9.7+5.8 +1.9-2.00.0 +1.9+3.9+5.8
完全五度の音程幅純正五度 696.1cent
ヴェルクマイスターの五度
純正五度
長三度の音程幅 401.9396.1390.2 384.4390.3396.1 402.0407.8407.8 407.8407.8407.8

 この調律法の面白い所は、 第五回で述べた「ピタゴラス音律の狭い五度の周囲にある純正に近い長三度」 を利用している(と思われる)所で、 ピタゴラス音律の弱点(狭い五度)を逆手に取った心憎い調律だなあと数値入力しながら思わずニヤリとしてしまいました。

 そして、これを弾いているうちにキルンベルガーの時も感じましたが「何かつまらないなあ」と思ってきました。 それは各調による変化が意外に乏しい気がしたからでした。 そして、自然と「4つあるヴェルクマイスターの五度の1つを別の場所に持って行く」という補正法を行ってみました。

音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +7.8+9.7+5.8 +7.8+9.7+5.8 +1.9-2.00.0 +1.9+3.9+5.8
完全五度の音程幅純正五度696.1 純正五度 696.1純正五度
長三度の音程幅 401.9396.1396.1 390.3390.3396.1 402.0407.8407.8 407.8401.9402.0

 上記表の長三度の音程幅を比べて見ればわかるように、これまでは広くて殆ど同じ音程幅の長三度が長く続く箇所があるせいでした。
 ちなみに、上記の音律を弾いているとBdurの1和音の和音が極めて純正に近くなるので、 とても気持ちがいいです。
 また、12音のそれぞれを1とした調を考えた時、 それぞれの1和音、4和音、 5和音の和音の長三度、完全五度の組合わせ(ここでは長調のみに限定)が全て違う事が判ります。 (表では、特定の音名の真下が1和音の長三度、完全五度となり、 右隣が5和音、左隣が4和音となります。) そして、それらは実に滑らかに変化している事が判ります。

 こうした見事な調律を味わうと、「古典調律法による各調の個性」というものが理解できます。 また、その一方で「もっといい調律法を作れないか」という欲が出てくるのも無理ない事。 そうして、色々と考えてみたものの、結局あちら立てればこちらが立たずとなり、 このヴェルクマイスター調律法がもっともバランスの取れていると納得させられてしまいました。
 とはいえ、こういった事を考えているうちに古典調律法作成のポイントのようなものにも気づいたのも事実。 例えば、純正五度を6回連続させる事により、ピタゴラス長三度(407.8cent)が3つできるので、 最もピタゴラス音律に近くなる調が1つできる事になり、音律にアクセントを付けられる事が判ります。


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反響感謝

 今回はちょっと趣向を変えまして、本HPを見た感想を頂き、また様々な御教授を頂いた方々について感謝を込めて語りたいと思います。
 実は本HPで最も反響メールが多い(といっても数回ですが)のがこの実験室だったりします。 この辺りはメインページの面目躍如といった所でしょうか。あー、一応私としてはこの実験室がメインだと思っておりますので・・・。 (「ぶっ飛ぶ教室」がメインという訳ではありません。少なくとも私はそのつもり(^^;)。)


 初めて感想を頂いたのは第六回でも登場して頂いたK氏。 この方はHD-81に表示されるセント値からそれぞれの音程間の周波数比率を導き出し、長二度の音程幅が2種類ある事をつきとめたという、 私とは逆のルートで純正律にアプローチしている方です。
 第六回で書いたように、K氏とのメールのやりとりの中で、 それまでボンヤリと感じていた「縦のハーモニーと横の旋律で好まれる音階が違う」というテーマを掘り下げる事ができました。 また、「西洋音楽において純正ハーモニーは、 周波数比率が2、3、5までの素数による積算で表せる物までしか認識していない」という事実に気づいたのは、 K氏の質問に答えようとした時であった事はかなり強烈な印象として残っています。
 続いては芸大作曲科の現役学生A氏。和声学の観点から、ある和音の用法(テクニック)についてご教授頂きました。 その用法の背景に音楽の発展の経過と音律の歴史がおぼろげながら感じられた気がしたので、 新たな研究のテーマが浮かび上がって来て、大変刺激を受けました。
 一方、エンハーモニックという単語が異名同音を意味すると認識されている事を知り、 「響きの考古学」(音楽之友社)でこの単語が古代ギリシャ時代の微分音程(半音の半分の音程幅)を含む音階を表している事を先に知っていただけに、 大きな違和感を感じると同時に、その解釈の変化にかなり興味引かれました。
 また、A氏からは和声学のテキストを紹介して頂きました。

「総合和声」(音楽之友社)

 このテキストは私が使っていた「和声 理論と実習」1〜3(音楽之友社)と比べると、 演奏家の楽曲解釈のために便宜を図っているとの事で、私のように演奏目的で学んでいる者にはうってつけのテキストのようです。 残念ながら、最近時間が取れないため余り読み進んでいませんが(^^;)
 実に絶妙なタイミングでメールを頂き、また目の覚めるような事実を教えて下さったのがT.T氏。
 この盆休みは、前半は能登半島遠征旅行に行き、 15日は日立で学生時代の仲間達等と飲むという、有意義ながらも大変な休みでした。
 この飲み会の仕切り役であった同期のT.Gは現在、勤め先を退社してプロの合唱指揮者として活動しているのだが、 彼と合唱曲の演奏法について激論を交わしました。(T.Kさん、マニアックな討論に巻き込んでスミマセンでした。)

 中でも激しかったのはポリフォニー音楽の演奏時に重視すべき事についての討議。
「この時代、長三度は協和音として認識されていなかった。 その証拠に、使用されていたピタゴラス音律においては長三度は協和しないし、 この時代の音楽はパレストリーナを始めとして、終止形に第三音を省いた五度とオクターブのみの和音を用いられている事が多い。
 よって、演奏法としては旋律の流れを重要視し、その一方で、例えば対旋律が入る際等の五度や、 終止形における完全五度のハーモニーを意識するべきである。」

というのが私の主張。これに対し、
「音律に現れてはいないが、この時代に長三度はすでに認識されていた筈。」
というのがT.Gの反論。面白いのは第三音を省いた終止形についての彼の仮説。
「地方の聖歌隊は中央ほど技術を持たなかったので、 アカペラで書かれた曲もオルガン伴奏で演奏されていたのではないか。 そのため、終止時にピタゴラス三度の濁った音を出さないために、省かれていたのだろう。」
これは結構説得力がありました。ところが、後にあるHPで、
「楽器が買えない地方の教会に配慮して、教会音楽はアカペラで書かれた。」
という意味の文章を発見しました。さて、実状はどうだったのでしょう?

 閑話休題。ともかく、そのようなやりとりがあったため、 「ポリフォニー音楽における三度音程の処理法」というテーマが私の中で渦巻いておりました。
 それから一週間程したある日、HPを見たというメールが届き、それがT.T氏でした。 氏はポリフォニー音楽を積極的に扱っている合唱団で活動されているという事でしたので、「絶好の機会」と早速前述の質問をしてみました。
 すると、氏は有難い事に自身の所有する100曲程のパレストリーナの楽譜を調べた上で、 「第三音を省いた終止形」について丁寧な回答を示してくれました。
「調べた所、第三音を省いた終始形は4曲のみに登場し、いずれも同じ特徴があります。
本来、テナーパートが第三音で終始すべき所、 このテナーパートが主旋律を担っているので主音で終止させるために第三音を省く事になったと思われるのです。」

 そして、パレストリーナの三度の用法に触れた後、音律との関わりについて、
「16世紀に入りますと純正律の復活とともにミーン・トーン音律が発表(1516年)されます。 それまでピタゴラス音律だった鍵盤楽器もこの新しい音律にとって代わられたようです。(ゼロ・ビートの再発見)
 私も以前、この時代に突然長3和音の楽曲が現れるのを不思議に思っていました。 パレストリーナ(1525-94)はまさしくこの時代の人です。」

 まさに「目から鱗」でした。私自身はパレストリーナの作品は数曲しか歌った事がありませんが、 音律との関わりを考えるようになってから、「妙に効果的に三度が用いられている」事に疑問を感じていました。 また、「音の後進国日本」(文化創作出版)中で、「パレストリーナの頃に属七和音が登場した」との記述があるのですが、 「属七和音は三度の音を重ねるという考え方の上に成り立つので、三度の協和が認識されていなければ考えられないだろう。」と、 ずっと疑問でした。
 ところが、ミーン・トーン音律の時代という事を知り、全てが氷解しました。 そして、それと同時に、ミーン・トーンという新しい音律が鍵盤楽器界を席捲し、長三度という新鮮な響きが人々を魅了して、 音楽に次々と取り入れられて行ったという当時の雰囲気が感じられた気がしました。
 そう考えると、むしろこの時代の音楽こそがもっとも純正律に相応しいのかもしれません。

 また、T.T氏からはいくつかの参考書籍を紹介して頂いたのですが、注文した所、 残念ながら「ゼロ・ビートの再発見」「〜技法篇」(平島達司著 東京音楽社)は2冊とも品切れで再版予定はないとの事でした。 今後は古書店、図書館にあたってみる予定です。


 前回を読んでメールを打って下さったらしいT.H氏。 生録音を趣味とされているという事で、音響学の観点からピアノ調律と音響効果について御教授頂きました。 氏とメールを交わす内に、12平均律の特に機能面での優秀性を改めて認識する事ができました。

 また、氏の「基準音以外は調律士の耳で合わせるという方法で調律して、 本当に平均律になっているのでしょうか?」という質問を受けてピアノ調律について色々と考えました。
 ピアノの調律は人の耳の感じ方に合わせて高音域、低音域でそれぞれ高め低めに調整する訳ですが、 そうなるとピアノにおいては、純正でハモる箇所は全くないのかもしれません。 (オクターブさえ純正より広くなっている可能性がある。)とすれば、 人の耳に心地よく聞こえるように音をズラして調整していくという行為は、 まさに調律士のセンスが問われる仕事であると考えられます。
 以前、「ピアノの調律はそのピアノを制作したメーカーの調律士に依頼すべき。 他社の調律士ではうまくいかない。」という意味の意見を聞いた事がありましたが、調律はセンスがモノを言う仕事である事を考えると、 当然、各々のピアノによって響き特性の違いも考えられ、それに合わせた調律が要求される事になります。 そう考えると上記の意見も納得できるようになりました。


 HPを開設して非常に嬉しかったのは、以上のように、私の書いた事に対してそれぞれ別の視点から意見を頂けたという事です。 それが私の視野を広げてくれたり、新しい刺激となって新たな考察を派生させてもらえたのです。
 元々はロマン派の音楽のみを対象として演奏法を探って行くのが目的でしたが、音律を学び、 また上記のように色々な方から意見を頂いている内に音楽史を始め、色々なテーマに興味を持つようになり、 ドンドン視野が広がって行きました。改めて御礼申し上げます。
 そして、この半ば自己満足な本ページにお付き合い頂いている皆様、ありがとうございます。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 ところで、本ページ開設以来、色々な刺激を受ける事によって、 純正律(のみならずハーモニー全般)について当初とは違う考え方も生じてきました。 それらはこの雑感のページで断片的に記してまいりましたが、この辺りでまた考えをまとめて発表してみようと思います。 そのため、これからこの雑感のページは不定期更新とし、第二木曜日は「実験室」のどこかを更新して行く事にしていきます。
 それでは改めて宜しくお願い申し上げます。


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純正律コンサートに行ってきました

 大変久しぶりの更新となります本コーナー。 今回はさる2月16日、広島県福山市のリーデンローズホールで行われた「ひびきレクチャーコンサート」に行ってきましたので、 その様子や感想について綴ってみましょう。

 作曲家/ヴァイオリニスト玉木宏樹のホームページで情報を得ましたが、 このコンサートは福山文化振興財団の企画で行われた音楽行事の一つでした。 ともあれ、四国在住の私には貴重な機会。なんとかチケット入手方法を問い合わせ、当日は勇んで福山へ向かいました。


 リーデンローズホールへは初めて行きましたが、大理石作りの大変きれいな建物です。 ホールの残響もなかなかで、これならば充分純正律の響きを楽しめるだろう。 相応しい会場を見て、どのようなコンサートになるのか期待がふくらむ。

 始まりは玉木先生が一人で登場されてソロヴァイオリン。所々で2弦同時に弾く箇所があり(恥ずかしながら、 ヴァイオリンのそういうテクニックについては全く知りませんでした)、そこで、正確に純正の和音を披露していました。
 それから、純正律の解説と実験。解説は「平均律が主流になったのは、ここ100年程の事」、 「バッハの『平均律クラヴィーア集』は日本人の誤訳である事」、 「ロマン派までの著名な作曲家は総て平均律ではない、ミーントーンや古典調律法で作曲していた事」等、 私にとってはHPや「音の後進国日本」でお馴染みの話。
 聞き比べ実験は純正律音楽研究会の会報「ひびきジャーナル」にも掲載されていた、 純正三度の平均律(ピアノの調律)との誤差を体感する方法で試す。 これは、まずヴァイオリンの第1弦をピアノと同じ音程にして、 それからヴァイオリンの第1弦と第3弦を純正長三度(長十度)になるよう、耳で聞いて唸りがなくなるように合わせる。 そして、その音とピアノの音を比べるという物。 確かに音が違う事は判るが、普通の人では「言われてみてはじめてピアノの音の方が高いと思う」程度の誤差だろう。 私も過去に自分の声で初めて検証した時は同じように思いました。

 ところで、この平均律との誤差について「半音の17%」と言われていましたが、これは勿論勘違いで正解は14%。 それにしても、どの誤差と勘違いされたのか不思議ではある。短三度なら16%だし、小全音(狭い長二度)なら18%になるだろう。 過去にもラジオ放送の中で、この誤差とシントニック・コンマの22%を勘違いしたという話が「音の後進国日本」(文化創作出版)にあったが、 この辺りは、おそらく玉木先生が純正律を実際の演奏において、耳で聞いて理解しており、 こういった数値は知識として記憶したものだからであろう。 私などは、自力で発見してはじき出した数値なので、忘れようと思っても忘れられないし、人の間違いにもつい敏感になるんですよね(^^;)

 この玉木先生のお話では、純正律CDに関するアンケートの話が面白かった。 医療関係者から治療に効果があったという報告があった事から、 本格的に調査するためにCD購入者にアンケートが配布されたもので、私も回答を寄せました。
 その回答の中で、「CDを最後まで聞いた事がない」というものがあったそうで、 なぜかといえば、心地よい響きのために、CDを聴いている内に必ず眠ってしまうからだそうです。 そこで、一念発起してCDを最後まで聴こうと対策を立てたとの事で、その対策の話もかなり面白かったのですが・・・。 余りネタばらしをするのもナンなので伏せておきましょう。
 この話を聞いて、私も「響きの宇宙(そら)へ」を聴いた時の事を思い出しました。 届いたCDを一刻も早く聴きかったので、その日、徳島へ行く用事があった事から、その帰り(夜中)にかけたのですが、 同乗者から「それをかけながら運転するのは(居眠りするので)危ない」と言われたのです。 私自身も危険だと思いながらかけていましたが(^^;)実際、その同乗者はグッスリ眠ってしまいました。

 それから、舞台下手に置いてあった大きなオルゴール(蓋を閉じると一辺50〜60cm程の立方体)2台の方へ向かわれ、 ディスク式オルゴールの説明と、置いてある2台のオルゴールが一方は平均律、もう一方はミーントーンで調律している事を話され、 同一ディスクをかけて聞き比べを行いました。ただ、搬送中に少し衝撃を与えてしまったため、 ディスクの回転に僅かにムラが出ている、との事でした。
(ミーントーン調律については第十回の後半で少しだけ触れていますが、 8つの長三度を純正に合わせて多少の転調にも対応できる調律で、 完全五度、短三度は5.4centの誤差となるため{平均律は完全五度が2cent、長三度が13.7cent、短三度は15.6centの誤差がある}、 もっとも純正に近い響きを持つ調律と言えます。)
 ジックリと聞いてみると、曲の前半は余り和音がなく旋律が目立っていたので余り差は感じられなかったが、 後半に入って和音が奏でられるようになってからは、先の平均律が別々の旋律の塊のように聞こえていたのに比べて、 ミーントーンの方では縦の和音に一体感が生じて、音に充実感を感じました。

 そして、CDに収録されている曲を2曲披露。 予め録音して持って来られていた伴奏部分を流しながら玉木先生がヴァイオリンの旋律を演奏。 CDで聴いていた曲もホールで生演奏を聴くと全く印象が変わる。柔かい(うなりのない)響きが会場全体に広がって実に心地よかった。


 続いて、田代耕一郎氏が登場。やはりなんと言ってもフィンランドの民族楽器「カンテレ」を生で見れたのが嬉しい。 長さ1m50cm位、「琴にギター等の増幅ボックスがついたような仕組」とは玉木先生の説明。 弦の余韻が非常に長く、先日Single Singersで歌った「Finlandia」が重厚な和声からフィンランドの森のような印象をもたらすのに対して、 こちらはフィンランドの湖に広がる波紋のように深く染み入るような味わい深い響き。 確かに、純正律で調律しなければ長い余韻の中に唸りを生じて大変気になるだろうし、 純正の和音が実現されれば心地よい響きが長く続くので、これほど純正律に相応しい楽器もないだろう。

 CD収録にあたって、玉木先生が田代氏に純正律を説いて、 カンテレに用いるようになる下りはホームページに詳しく書かれていますが、 結果として田代氏の方がより調律にこだわるようになったというのは、実物を見ると痛い程よく解かりました。
 カンテレを用いて2曲、やはりCDの収録曲から披露されたのですが、演奏前や曲間で玉木先生が解説をしている間中、 ずっと調弦されていて、2曲目を始めるのに玉木先生が催促されるまで拘っておられました。 弦を止めてある付近の穴に六角レンチのような道具を突っ込んで回しながら弦を弾いて、微細な唸りを消すように調整をする。 それでも1曲目は、私が聞いてもいくつか微妙な唸りを生じており、2曲目でようやく美しい余韻を聴かせて頂きました。


 そして満を持してホーメイ奏者の巻上公一氏が登場。実はカンテレもさることながら、ホーメイを是非生で聴いて(見て)みたかったのです。
 ホーメイとは低い基音を出しつつ、その倍音の内、特定の音を強調する事によって旋律を作り上げる一人二重唱の事。 モンゴルのホーミィが有名ですが、ホーメイはそのトゥバ共和国版とでも言うべきでしょうか。 トゥバ共和国の位置はよく知らないのですが(玉木先生と巻上氏の会話からモンゴルの西方ではないかと想像します)、 その周辺の国や地方にも同じような歌唱法があるとの事で、どうやら、中央アジアの草原地帯に共通して存在する歌唱法のようです。

 やはり、生で聴くホーメイは不思議な世界でした。最初、一定した低いのど声を響かせ始めたかと思うと、 次第にその中から一つの響きの塊が分かれて浮き上がって行き、旋律を奏で始める。調子が上がってくると、その音は演奏者からではなく、 演奏者の上方、ホールの中空から響いてくるかのように感じました。

 ところで、純正律音楽研究会の会報「ひびきジャーナル」に声楽家の演奏中の声帯を多数撮影して研究されている、 萩野耳鼻咽喉科の荻野ドクターとの対談が掲載されていました。 その話の最後に、「今度、巻上公一氏をお連れしますので撮影して下さい」という下りがあったので、その後の話に期待していました。
 ホーメイの説明とインタビューをしていた玉木先生が荻野ドクターの話を始めたので、もしやと思っていると案の定、 巻上氏を萩野耳鼻咽喉科に連れて行ったという話になったので、 内心爆笑しておりました(その様子はホームページを御参照下さい)。

 それから巻上氏は、他にも倍音を利用した楽器をいくつか紹介され、大変興味深い演奏を聴かせて頂きました。 特に口琴(薄い金属片を弦代わりにした小さな楽器で、これを前歯に当てる事により、弦の振動を口内を利用して増幅させるため、 口内の形状によって増幅される倍音を選択できる)については、終演後のCD、書籍等の即売場で購入しました。 その内、楽器の画像を掲載しましょう。

 その後、田代氏がギターを持ち出して来て、そのギターの「純正7度を利用した特殊調弦」の説明があり、 それから、玉木先生のヴァイオリン、巻上氏のホーメイを交えた純正律ブルースのインプロヴィゼーションを披露。 後で質問した所、ギターはどうやら下記のように調弦されているそうです。

第1弦
(通常はE)
第2弦
(通常はA)
第3弦
(通常はD)
第4弦
(通常はG)
第5弦
(通常はH)
第6弦
(通常はE)
音名DADFシャープACより
約30cent低い音
相対比率234567
相対セント値
(第1弦=0.0)
0.0701.90.0386.3701.9968.8

各弦間の周波数比率関係
第1弦:第2弦第2弦:第3弦第3弦:第4弦第4弦:第5弦第5弦:第6弦
周波数比率2:3
完全五度
3:4
完全四度
4:5
長三度
5:6
短三度
6:7

 以上のような調弦で、ようするに倍音列に合わせて調弦している訳です。
 そして、演奏の際は人差し指一本でフレットを押さえていました。 それもよく見ていると、どうやら5番目と7番目(つまり四度上と五度上)と開放弦だけを利用していました。 これならば、純正律との誤差も少なく(ひょっとするとこのフレットも純正に調整し直していたかも)なるので、 純正調の演奏といえるでしょう。
 余談ですが、御三方の衣装が自身の演奏する音楽とよくマッチしているようで、良く考えられていると思いました。
 最初に登場した玉木先生は黒を基調とした衣装で、上には薄いレースのような生地に白い模様を浮かべた服をまとっており、 クラシックの音楽会に相応しい高貴な印象。それに対して、田代氏は黒の皮ジャンで登場。 ブルースに代表される現代のイメージを起こさせ、フィンランド等の北欧音楽がポストモダンとして注目されている現状を考えると、 現代と近未来のイメージを狙った衣装選択だったのではないかと思われます。 また、巻上氏が着用されていたのは茶色の学生服のような形状の衣装。私はつい、中国の人民服を連想してしまいました。 ひょっとすると、トゥバ共和国の服なのかもしれません。
 この三者の衣装と音楽を見ていて感じたのは、古典音楽、近未来の音楽、 中央アジアの伝統音楽という時間も場所も違う3つの音楽が「純正律」という一つのテーマで繋がっているという事でした。
 一通り演奏が終わった所で、今度は純正律の実践のために観客と一緒にカノンの練習を行う。 あらかじめ練習していたと思われる地元の合唱団がステージに上がり、観客に配布されていたパンフレットに挟んであった楽譜を見て、 玉木先生のヴァイオリンで音取りをし、観客全員で演奏する。

 私は声のハーモニーにはうるさいので、これについては充分な効果が上がらなかったのではないかと思う。 ハモるべき箇所が判る自分が歌っていても純正では合わせきれなかったし、漫然と歌っていたのでは誤差が生じてハモれない筈だ。
 また、曲は玉木先生のオリジナルだったのだが、演奏の仕方と突き合わせて考えると少々チグハグな印象が残る。 ヴァイオリンで音取りをしながら演奏したという事は「同一の旋律を純正調音階で歌い、 それをカノンにする事で純正のハーモニーを体験する」という点にあると思われるが、 そうするとカノンした際にレとファ(またはレとラ)が同時に鳴るような旋律は基礎編としては不適切ではないかと思う。 しかし、そのようになる箇所があった。逆に作品を尊重して、縦和音を重視する事により、 そういうレとファ(またはレとラ)の関係を自己修復させるという狙いであるならば、 指導時にあらかじめハモるポイントを指摘して、またその部分でのハーモニーを体感させておく必要があると思う。 (ちなみに後者は私のSingle Singersでの指導法である。)

 また、この時私は440Hzの音叉を持参(プライベートでは大抵持ち歩いている)していたので、自力で音取りをしていました。 ある曲がGdurなので、Aから大全音(203.9cent)下がったGを取っていたのですが、玉木先生のヴァイオリンの音の方が微妙に高く感じました。 それではと、小全音(182.4cent)下がったGで取ると低く感じました。基準音Aは442Hzだったのかもしれません。 もっとも、この玉木先生のヴァイオリンは実験のために何度も調弦を変えていたので何とも言えませんが。

 最後に観客から質問を募り、私を含めて3名が質問を行った。 高校生らしい女性の「バッハ等の昔のピアノ作品を古典調律と平均律で弾いた際に印象が変わるのか?」という質問に対して、 日本人ピアニストのレコーディングしたCDにも古典調律法によるものがある事を紹介して頂けた事は収穫であった。
 私は前述した純正律ギターの調弦法についてと、カンテレのライブ演奏に当たって、 演奏された曲に2waon和音を使用しているかどうかを質問しました。 答えは明白ではあります(使用していない)が、ここまで純正律の欠点について述べられていなかったので、 その点にも触れておいて欲しかったからでした。もっとも、 私の発音が悪くて「2waon(ニ)和音」というべき所が「ミ和音」に聞こえたので、 混乱させてしまいましたが(^^;)
 それに対する玉木先生の回答の中で「シンセサイザー等で途中で音程を変えられる楽器では、 CD収録曲に2waon和音を使用している」という言葉があったので、 つい、「2waon和音の処理について」追加質問してしまいました。 結果、「長調では根音を下げる。短調等ではその限りではない」と貴重な答えを頂く事ができましたが、 この辺りはかなり専門的な話なので、周りの方を完全に置いてきぼりにしてしまった事は反省すべきだろう。


 終演後、昨秋の定演や倉敷のジョイントコンサートでお世話になった神辺町の男声合唱団コール・フロイデのメンバーに声をかけられて多少話す。 純正の響きは参考になったと思う。

 CD、書籍等の即売場に行くと、玉木先生と巻上氏が購入者へサインを書いていた。純正律CDや書籍はすでに総て購入していたので、 巻上氏のCDを購入。また、口琴を購入したので、演奏法を巻上氏から直接レクチャーして頂けた。
 玉木先生にお話を伺った所、このコンサートについて問い合わせた時に名前を覚えて頂けていた事を知り、感動。
 地元で弦楽アンサンブルを行っている方が「旋律と和音の整合性と処理法」について質問をされたが、 私自身もR&M合唱音楽研究所HP内での和田氏の問題提起の件もあり、 大変興味を持って回答を待ちました。(私なりの考え方もありますが、それは次回にまとめてみましょう。)
 玉木先生曰く、「まず、主旋律以外のパートでハーモニーを構築し、その上にピタゴラス律の旋律を載せる」との事。
「完全に純正音階のみで主旋律を演奏してしまうと、ハーモニーの中に旋律が埋もれてしまう。 他パートでハーモニーを作って、その上に主旋律を載せて、要所要所でハーモニーを決めるようにすると、 主旋律が浮き上がってきて、主張できるようになる。」
 実に簡潔で明快な回答でした。おかげさまで、自分の仮説にも自信が持てるようになりました。


 今回のコンサート、私にとっては大変中身の濃い、有意義なコンサートでした。 普段、なかなか耳にする事のできない、純正律や他の古典調律の音楽、自然倍音の音楽を体験できて大変刺激を受けました。 また、純正律音楽について学問的な事を学べる、ほぼ唯一の先生と直接話す事ができたので、 それまで一人で悶々と考え続けていた問題を検証でき、またそれによって自分の仮説がなかなか正しい事が判り、 自信が持てるようになりました。

 リーデンローズホールでは他にも様々なコンサートを企画しているとの事で、 福山市が文化振興に大変力を注いでいるという事が感じられます。今後の活動にも期待したい所です。
 後、地元アマチュア文化団体を育成している様なら完璧ですが・・・。(その辺りは、今回は推察できませんでした)


 さて、何事にも「オチ」は必要という事で・・・。
 結局、会場を出たのは9時を回った頃になり、福山駅で時刻表を見るとどうやら岡山駅で30分待って、 最終のマリンライナーで帰る事になりそうでした。(0:36坂出到着予定)
 ところが、この日は関東、東海地方等で大雪に見舞われたため、新幹線のダイヤが大幅に乱れました(約50分程)。 そのため、それまでは定刻通りに進行していた在来線も最終列車に限っては、新幹線の乗客を待つために発車を大きく遅らせる事になりました。 結果、ただでさえ30分待ちにも関わらず、さらに遅れた分も含めて90分もの間、寒風吹きすさぶ駅構内で待たされるハメになったのでした。 余り長居しなければ、一つ前の列車に乗れたので、日付が替わるまでには帰れた筈だったのですが・・・。 結局、帰宅は2時過ぎ(^^;)
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旋律と和音の整合と処理法について

 前回の最後に書いたように、今回は「旋律と和音の整合と処理法」についての私見を述べる事にします。 本来は純正律理論のページの延長として書く筈だったのですが、 同ページが和音の解釈に関して当初と違う考えを持つようになった事から破綻、終了してしまい、 その後継ページである現代和声については研究中であるため、こういった事を書けるページがなくなっているという状態です。 という訳で、ひとまずこちらでまとめてみる事にします。

 このテーマを意識したのは、 R&M合唱音楽研究所HP内の「合唱における音律」というページで、 「きよしこの夜」を例にとった、旋律と和音の処理法についての問題提起をされていたからでした。
 私自身も旋律と和音で好まれる音程幅が違う事に気付いてから、なんとなく気になってはいた事でした。


 さて、このテーマについて考える上でひとつのHPを紹介しましょう。 Hiroyuki Horiuti Homepageというページ(現在閉鎖)ですが、 こちらの純正律に関するページの最後で非常に興味深い記述があります。
「テンポの速い曲ではピタゴラス律よりもさらに塩の効いた音律(半音と全音の音程幅の差が大きい)がふさわしい」
というのがそれで、ようするにテンポが速い曲になると聞く者には縦の和音よりも横の旋律の方が印象に残るようになり、 さらに速くなると、その旋律を際立たせるために、より「半音と全音の音程幅の差が大きい」音律が好まれるようになるという訳です。

 これを一つの曲について考えてみると、
「ロングトーンの個所は和音が聞こえ、短い音符の個所は旋律が聞こえる」
という考え方ができるでしょう。
 そうなると、ロングトーン、または同じ和音で何度か拍を打つ個所は縦和音重視で純正律で取り、 短い音符の連続で動く個所は旋律線を重視して、ピタゴラス律、もしくはテンポを考慮してより聞こえの良い音律を選択する、 という方法が浮かび上がってきます。

きよしこの夜  これを踏まえた上で、R&M合唱音楽研究所HPの問題提起について、 やはり、同じ「きよしこの夜」を例にとって各音の具体的な音高について考察しましょう。 尚、Cdurの和音の都合上、混声四部編曲を用いています。(楽譜参照)
 主旋律のソプラノパートを見ると、それぞれの音は一拍半、半拍、一拍、三拍という長さで連なっています。 このうち、和音が聞こえてくるような長い音符は最初のGと二小節目のロングトーンのEという事になります。 他はひとまずピタゴラス律で取ってみましょう。
 下三声は総て純正律で合わせます。その上でソプラノパートについては、まず最初のG音は長い音符なので下三声と純正律で合わせます。 その後のAとG音はピタゴラス律で取り、次のE音は再び和音が聞こえるので下三声と純正律で合わせます。 まとめると以下のようになります。(便宜上、C=0.0として表現)

Sop.G
702.0
A
905.9
G
702.0
E
386.3
Alt.E
386.3
F
498.0
E
386.3
C
0.0
Ten.C
0.0
C
0.0
C
0.0
G
702.0
Bas.C
0.0
C
0.0
C
0.0
C
0.0

 こうすると、ロングトーンの個所は純正のハーモニーが聞こえ、A音の個所はハモりませんが浮き上がって聞こえるため、 旋律的に際立ってくるので良好だと思います。 現実の演奏を考えた場合でも、短い音符で他パートを聞いて合わせるというのは至難の技(私の経験則)でありますので、 ロングトーンの個所で聞き合うというのは適切な指導法でしょう。
 また、前回の玉木先生の答えとも合致する解釈と思います。
 尚、具体的な音程の解釈についての私の考え方は以上の通りですが、 R&M合唱音楽研究所HP内の「合唱における音律」における和田氏の
「合唱においては演奏中の各パートの音程は一つの音律では表現できない」
という結論や、合唱指導における氏の方法論は私も納得し、大変勉強になっています。
 同ページの今後の展開に期待しております。
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マタイ受難曲(バッハ)で使用された音律はなにか

 今回は、グリークラブ香川がある企画に巻き込まれて参加する事になったバッハのマタイ受難曲についての研究です。 私自身、バッハにはまるで興味がなかった(コラールは総て伴奏付混声合唱ですからね)のですが、 近年、あるキッカケから少し興味を覚えてきました。今回もバッハの様式に触れる事ができるという点だけは楽しみでした。
 練習で楽譜を開いて見ると、伴奏部分にContinuo、Organoという文字がある事に気付きました。 Continuoというのはチェンバロのような鍵盤楽器の事。 こうした鍵盤楽器がほぼ合唱と同じ音をトレースして演奏される事に興味を覚えました。 (本来の楽譜は通奏低音形式で、バスの音の上に数字で右手の動きが記載されていたのでしょうね。)
 この発見によって急に頭が回転し始めます。ちなみに他の曲を見ていると意外にたくさんの調が使われている事にも気付きます。 (ちらっと見ただけでシャープ系、フラット系それぞれ4つ付いた調が見える)この時代、当然平均律はないのですから、 なんらかの古典調律法が使用されていた筈。それも、これだけ多数の調が使用されているという事は、 バッハが調律師に要求して作らせ、好んで使ったとされる、 オクターブ12の鍵盤の各々の音を基音とする調が総て演奏可能となる調律法であろう。 (バッハの「平均律クラビーア曲集」(誤訳)はこのような古典調律法から各調のイメージが想起されている)しかも、 その音律による伴奏が合唱をトレースしているという事は、 音律によって生じる各調の特性を表現する事を求めているであろう事は容易に想像がつく。 (圧巻は、全く同じ動きをしながら、調性(EdurとEsdur)と歌詩が違うだけという2つの曲がある事。 明らかに調性によるニュアンスの違いを意識していると言える。)
 そうなると、具体的にどのような調律法であったのかが興味引かれる所であるが、楽譜には特に記載はない。 そこで、独自に想像してみる事にしましょう。


状況証拠

 知人の指揮者によると、
「シャープ系の調は荘厳さを、フラット系の調は牧歌的なイメージで書かれている」
と表現している。おそらく、前者はピタゴラス的、後者はミーントーン的という意味だろうが、そうすると、 以前、古典調律法に関してHPを調べた時(古典調律のすすめ(MIDIで古典調律を))の
「調号の少ない調はミーントーン的、多い調はピタゴラス的」
という記述とはズレを感じる。

 先日、純正律音楽研究会主催の「小さなお茶会」(同会会員相互交流会のような企画)に参加した折に、 玉木宏樹先生にご意見を伺ってみた。(基本的に古楽の専門家ではないが、 HPで「平均律クラビーア曲集」(誤訳)がヴェルクマイスター調律だったのでは、 と軽く触れられていたので)
「明確な判断はできないが、対位法的な動きのある曲がある事から、 ミーントーン等よりはヴェルクマイスターのようなピタゴラス的な個所のある調律ではないか。」
との回答を頂いた。


思考錯誤

 前項を踏まえた上で音律を予想してみました。私はキリスト教には全く興味がないので、 とりあえず楽譜上からのみの判断です。
 第十回の時に古典調律法を色々と作ってみたので、ある程度のコツはつかんでいます。 このマタイ受難曲では色々な調をまんべんなく使用している訳ですが、そうなると、 各調間の長三度の音程幅の種類は多彩に、かつ滑らかに変化していく事が望ましい。となれば、ピタゴラス領域は6つ連続に留めて、 ピタゴラス長三度が3つ連続する所に最も多旋律的な動きの多い調が来る筈。
 そこで、各曲の調選択と音楽の特徴(各パートの旋律が独立しているか揃っているか)を調べて、 その中から最も多旋律的な作りの曲が多い調を見つける事にします。

 コーラスの曲だけを見て、転調部分を含めてある程度調性と動きの特徴をチェックして見ました。 細かく見ると不正確な個所も多いと思いますが目安程度に。

調性縦が揃う多旋律的
As40
Es40
B31
F60
C61
G92
D81
A62
E74
H54
Fis20
Cis01

 全体の特徴として、シャープ系の調の曲で多彩な転調が目立つせいもあり、そちらがかなり多く見えます。 特徴的なのはフラット系では多旋律的な曲がほとんど見られない事ですね。
 H、Eの調に多旋律的な曲が集中している事もあり、おそらくはこの辺りがピタゴラス系の頂点と想像されます。 Hを頂点とすると、そこから一番遠い(ミーントーン系の頂点)のはFか。Cに近いな。 それならば、C基準の可能性もあるし、ひとまずFis頂点にしてみよう。

音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +1.9+3.9+5.8 +7.8+9.7+5.8 +1.9-2.00.0 +1.9-2.00.0
完全五度の音程幅純正五度 696.1純正五度 696.1純正五度
長三度の音程幅 407.8401.9396.1 390.2390.3396.1 396.1402.0401.9 402.0407.8407.8
短三度の音程幅 300.0294.2294.1 294.2294.1300.0 305.8311.7305.9 300.0300.0300.0

 上の表で重要なのは各調の長三度の音程幅。主調、属調、下属調(1waon、 5waon、4waonの和音。 Cdurならば主調はCの項、属調はG、下属調はF。ようするに目的の調と両隣の調を含めた3つの長三度の組合わせを見る。 )の組合わせが各調で異なり、またそれが滑らかに変化している事である。 (ちなみに、純正長三度は386.3cent。これに近い程純度が高く、ハーモニーが美しくなる。 逆に離れるとハモりにくくなるが、旋律が浮いてくるため、多旋律音楽に向いてくる。)
 E、Hの調がピタゴラスに近くなるが、Asの下属調でピタゴラス長三度が出てくるのはどうか。 全曲の最後がCmol(C、Eフラット、G)で終わるが、 このC、Eフラットの短三度が純正(315.6)より狭いのが気になる。 FisやCisの調は転調した結果出てくるのみで少ない事を考えると、 当初のようにH調にピタゴラスの頂点(主調、属調、下属調が総てピタゴラス長三度(407.8)になる)がきた方が、 各調のより個性が際立つだろう。

音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +1.9+3.9+5.8 +7.8+3.90.0 -3.9-2.00.0 -3.9-2.00.0
完全五度の音程幅純正五度 696.1純正五度 696.1純正五度
長三度の音程幅 402.0396.1390.3 390.2396.1396.1 401.9402.0401.9 407.8407.8407.8
短三度の音程幅 294.2294.1294.2 294.1300.0305.8 311.7305.9300.0 300.0300.0300.0

 こうしてみると、H調は最もピタゴラス音律に近くなり、長三度が400cent未満の領域がフラット系の調に集中して、 ミーントーン的な効果が上がるようになる。 C、Eフラットの短三度も305.8centと改善される。 一番最後の和音が純正に近づけば、何らかの解決感が得られるのではないだろうか。

 思えば、ヴェルクマイスター五度の配置は気まぐれで以前とは逆にしたのだが、こうしてみると、 フラット系の調をミーントーン的にする効果が上がっている事がわかる。


 ここまで考えた時点で時計の針は午前1時を指そうとしていた。より心地よい音律に向かっている実感から、 かなりハイ状態になってきていた。

 C、Eフラット間が改善された事から、 この短三度を純正に近づけるための方法を考える。
 何の事はない、上表のEフラット、 C間の3つの五度がヴェルクマイスター五度であれば、最も純正に近い短三度になるのである。 さらに五度配置をずらしてみる。

音名 Dフラット Aフラット Eフラット BF CG DA EH Fシャープ
セント値 +7.8+9.7+11.7 +7.8+3.90.0 +1.9+3.90.0 +1.9+3.9+5.8
完全五度の音程幅純正五度 696.1純正五度 696.1純正五度
長三度の音程幅 396.1390.3390.2 396.1396.1401.9 402.0401.9407.8 407.8407.8402.0
短三度の音程幅 294.1294.2294.1 300.0305.8311.7 305.9300.0300.0 300.0300.0294.2

 これでC、Eフラット間は311.7cent、C、G間は純正完全五度となり、 極めて純正に近い和音が鳴る事になる。この長い作品の終曲も転調を繰り返して様々な表情を見せながらも、 最後でほとんど純正の和音が鳴る事により、何らかの平安を聴衆に与える事ができるのではないだろうか。

 ひるがえって、第1曲目の壮大なポリフォニーはピタゴラス的な効果によって各旋律を際立たせる事ができる。 全体にシャープ系の調では緊張感の高い和音が鳴り、 フラット系の調(そういえばフラット系は長調が多い)では充実したハーモニーが奏でられる。 いずれの調も個性が出来、その繋がりは非常に滑らかになる。
 最初の方で提示した、「全く同じ動きをしながら、 調性(EdurとEsdur)と歌詩が違うだけという2つの曲」は明らかに違う演奏効果をもたらすであろう事は容易に想像できるだろう。


まとめ

 今回は純粋に譜面のみから想像したものなので、正確には各曲の歌詩の内容と突き合わせた上で解釈する必要がありますが、 各曲の特徴から作曲者が調性による効果を意識していた事は感じられると思います。


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名指導者発見

 先日、徳島男声合唱団「響」の助っ人として徳島で行われた四国合唱コンクールに参加しました。 (全日本合唱コンクール(全日本合唱連盟、朝日新聞社共催)の四国地区予選の事。このコンクールは中学(同声、混声)、 高校(A32名以下、B33名以上)、大学(A、B)、職場、一般(A、B)に分かれており、同じ日に高校(A、B)、 一般の審査が行われた。)結果は2位銀賞と1位団体に大差を付けられて全国大会出場を逃す事になりました。 まあ、それは置いといて、今回はそのコンクールの中で一際私の目を引いた合唱団について語ります。

 前日の練習から本番までに、坂出まで往復するのは面倒だろうとの「響」S氏の御厚意で徳島に一泊させて頂いたおかげで、 当日はメンバー集合まで時間があったので午前中の高校の部をほぼ聴く事ができました。 高校生の頃には自分も参加していたので、当時からの変化を楽しみつつ(驚きつつ?)眺めていましたが、 昨夜遅かったために睡魔に襲われ、余り変わった演奏がなかった事も手伝って、半ばウトウトとしていました。
 ふと目を開けると、高松北高校合唱部が整列を済ませた所でした。おや?最後列に男声、前方に女声がくるという一味違った並び。 それまでの団体が総て判で押したように、客席から向かってSATB、SMAの並びしかしていなかったので、 この時点で目を引きました。これはちょっと気合を入れて聴かなくては、と座り直す。

 指揮者の先生が音叉で音取りをして演奏開始。(これも他団体にはなかった行動)最初は課題の宗教曲。
 !!、完全にハーモニーを意識した演奏。お互いの音を聞き合っているために生じる、明らかに他団体とは違う充実した響き。 音程精度はおそらく全出場団体中でダントツでしょう。今日に限らず、コンクールで初めてハーモニーというものを聴いた気がします。 これまで、高校生の男声部で自然にハーモニーという現象に気づいて、半ば無意識にTenとBassが合わせあっている様子は見た事がありましたが、 指導者が明らかにハーモニーを意識して適切な指導を行っている例はなく、驚きました。こうした本物の演奏を聴くと、 その前にハーモニーディレクターを持ち込んで音取りをしていた団体が格好だけのものであったように思えて来るから奇妙なものです。
 2曲目は邦人作曲家のなかでは珍しく、純正の音を少し意識していると個人的に見込んでいる作曲家の作品から。 並び方をオーソドックスなSATBに変えたのは各声部の独立性を意識したためだろう。こちらも良い演奏。 3曲目は男声を真ん中に置いて伴奏付きの作品。これはおそらく一般の部に参加していた同団のOB合唱団と曲を共有するためであったと思われるが、 こちらは明らかに合唱団の個性を殺しており、選曲ミスであろう。
 それでも、個人的には最も素晴らしい演奏であり、私が審査員なら間違いなく全部門を通じて1位に推すだろう。

 とはいえ、発声については完全に練習不足。ほとんど生声に近く、 頭声が不足しているために旋律において音程が不安定に感じられ、表現の説得力を欠いてしまっている。
 しかし、この事を一概に責める訳にもいかない。発声方法については私も悩んでいるためである。 通常指導されている声楽家系の声では混ざらない。むしろ初心者の声の方がハモり易いという特徴もある。 私自身も色々と考えて発声指導はしたものの、残念ながら旋律を無難にこなせるまでには至らず、 先日のアンサンブルコンテストで自分がTopを担当したのも、旋律表現でボロを出さないようにするための苦肉の策であった。
 結果、高松北高校合唱部はこの発声の不備が祟り銅賞に終わる。しかし、この審査は発声の成熟度に偏重したもので、 他にも面白い曲想表現をしていた団体が全く評価されない等、非常に疑問の残る審査基準であった事が残念である。

 今回は、四国で私以外に純正律ハーモニーを意識して指導して、実現している指導者がいる事に大変感銘を受けました。 今後もこの団体には注目していきたいと思います。


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アンサンブルコンテストを振り返る

 先日、香川アンサンブルコンテストに参加して、幸いな事に結果を出す事が出来ました。 今年は昨年に比べてメンバーに要求した技術要素が3倍位に増えていたのでかなり無理を強いたという自覚もありました。 そこで今回はその時の練習を技術面から振り返って見る事にします。そのため、純正律以外の話も致します。
 尚、本項はメロス楽譜刊、男声合唱組曲「木下杢太郎の詩から」を元に話を進めていきます。

音程に関する練習
 音取りは実践編(練習法)で書いた通り、平均律のキーボードで行っていきました。 一方で、要所要所での理論的な絶対音高を探るべく、楽譜に理論値を書き込んでいった。 結果は以下の通り。

小節範囲練習用キーボードの番号
1〜12小節16(Dmol)
13〜22小節17(Gmol)
23〜24小節16(Dmol)
25〜26小節17(Gmol)
27〜35小節16(Dmol)
36〜39 2/3小節17(Gmol)
39 3/3〜40小節15(Adur)
41小節16(Dmol)
42〜49小節15(Amol)
50〜53小節28(Fdur)
54〜57小節17(Gmol)
58〜60小節16(Dmol)
61〜62小節15(Adur)
63〜76小節16(Dmol)
77〜80小節15(Amol)
解説
 ここでは理論値と一致する音階を持ったキーボードの番号を選択しており、 また、違う調でも特定の音が出てこない等から変更の手間を省く意味でそのまま通している箇所もあるので、 実際の調性とは必ずしも一致していません。
 例えば、77〜80小節は明らかにDmolなのですが、 この部分のGの音程は周囲の音との関係から16番(Dmol)の-3.9centより+17.6centとするのが適当なので、 その音程を含む15番(Amol)を使用する事にしています。
 また、60小節目のSecのGシャープの音は確定できませんでした。 結局音取りのまま、特に指示する事なく演奏にのぞみましたが、特に違和感はありませんでした。

 それから、メンバーには例によってBassとのオクターブ、完全五度、長三度の個所をチェックする。 しかし、今回の曲は短調なのでもう一工夫が必要になりました。 残念ながら、私自身、正確な短三度の音程感覚は自信がないため、メンバーにそれを求める訳には行きません。 そこで、第五音の長三度下を取る方法を考えました。例えば21〜22小節のSecはTopとの長三度を聞くようにする。 これはそれなりに効果が上がりました。しかし、Barの場合は本番の並び方の関係でSecを聞くには距離があるため、 自分が担当している事もあり、なんとかBassの短三度上を合わせるようにしました。
 また、いくつかの箇所で展開和音があり、55小節で第三音のBassと第五音のTopがちょうど長三度の関係となっているため、 根音を担当しているSec、BarはTopを聞いて完全五度下に合わせる事にする。
 今回の和音処理では、三和音以外で、現代和声内で協和音とした和音の処理を実際に行った。 78小節の2拍目が代表。ここでは、TopとBassがお互いに長三度を聞き合い、BarはBassの完全五度上を、 SecはTopの完全五度下を聞いて合わせる事にする。
 69小節目の不協和音についても工夫してみる。1拍目は協和音の展開なので、お互いに聞き合うようにした後、 その裏拍からは、この和音で最も目立つと思われるTopとSecの長二度を、理論値音高を示しつつ、 Topの方で合わせるように練習する。残念ながら、こちらは充分な効果が上がらなかったように思う。

 この曲は基本的に、ハーモニーが感じられる程の長い音符は後半に集中しているため、ハーモニー練習も当然後半が中心となり、 特に17小節目までの部分はオクターブ、完全五度の箇所をチェックしてはいたものの、ほとんど放置していました。 ところが、年明けからの練習でこの部分を主旋律を除いた伴奏部分で演奏してみると、 全体がもやもやとした塊のように聞こえてくるので、チェックした音程関係を聞くように一つ一つ和音を体感してもらい、 改めて演奏してみる。(実際、瞬間的にしか聞けないので厳密に合わせる事は不可能だと思っていたが)すると、 瞬間的な完全五度の和音が各所で響いて、全体にシャープな音に変わってきたのには、指示した私の方が驚いてしまった。
 これは、それまで自分の音程に頼って歌っていた事により、互いの音程誤差が生じて全体の響きに違和感を生み出していたものを、 瞬間的にでも聞き合ってお互いの音程関係を修正していったため、相対的な音程誤差が小さくなって改善されたからある。
 人間の耳は旋律面での音程誤差は10〜20cent位まで判らないが、ハーモニー感覚が養われてくると、 縦の音程関係を聞き合う事によって2cent位の誤差に縮める事が可能になる。そのため、上記のように要所要所を聞き合うようにすれば、 あたかも「音取りをしながら歌っている」ような状態になるため、より音程精度の高い演奏が可能になるのである。

 演奏時の音取りは、当初BassのD音のみを取っていたが、どうも3小節目のSecの入りがやや低くなりがちだったので、 本番時はBassとSecのDオクターブを取る事にした。結果、17小節までのかけ声と旋律の絡みは本番が一番良い出来であった。

 ハーモニー練習で最も苦労したのは62小節。ハーモニーを信条とする我々にとって一番の聞かせ所なのだが、 ここのTopのCシャープがどうしても高く入りがちになるのである。 ここは前のDから半音下がって到達するため、旋律的には下がり幅を小さくしたくなるのが自然なので、合わせにくいのは道理。 この部分はTopにとって、和声的感覚と旋律的感覚が相反するという厄介な箇所なのである。
 前の小節からお互いのパートを聞き合う事を念入りに行い、 問題の和音ではBassの方が少し浮かせてTopとの長三度を合わせるという強引な方法も行ってみる。 そうするとSec、Barがパニくって混乱してしまったり、録音して聞いてみると、 そこだけ微妙に転調したかのような浮き加減がなんともいえない妙な感覚を醸し出していたりした(^^;)まあ、 なんとか本番ではそれなりのハーモニーに仕上がったように思う。
 今考えると、Topの「入日空」の「ぞ」の音をDからHに置き換えて歌えばハマリ易かったとも思うので、それによって、 あらかじめCシャープのハマリ所を意識して歌うようにする方法があったかもしれない。


基本的な音作り
 今回は色々な技術要素をメンバーに求めましたが、それらは一つ一つ基礎から理解できるように指導を行って行きました。 当グループは学生合唱団の経験のないメンバーがいるという事もあり、 以前から拍子や強弱等の基本的な楽譜の解釈法から説明する必要があったのですが、 いざ練習を始めてみると意外に経験者であるメンバーも時折こなせていない事もあったので、 こうした基礎的な練習はかなりの時間を割いて一つ一つこなしていくようにしました。 (というか、それしかしていないとも言えますが)

テンポ取り
 テンポが取れない理由は楽譜において指揮者の打点がどの音符に当たるのかが理解できていない事が主原因。 そこで、小節内に四分音符の長さ毎に線を引いて(全パート)、その線が指揮者の打点に当たる事を説明する。 この方法は、元々私自身が高校時代に高田三郎作品の三連符や16部音符が絡む音符の連なりをどうしても取れなかったため、 「とにかく、指揮者の打点に当たる音符だけでも合わせよう」という考えから編み出したもの。 そしてさらに四分音符をタン、八分音符2つをタタ、 付点八部音符と16部音符をタッカとイメージして(これは幼稚園でカスタネットの練習時に習った方法)、 実際の楽譜上で組み合わせる事により、取れなかったテンポを取れるようにしていく。

 経験者でも意外に取り難かったのが42小節と48から49小節にかけて16部音符がチョコチョコと絡む部分。 ここは余り経験のないパターンで16部音符が出てきている箇所のため、 「16部音符は短く(速く)歌わないと」という意識が先に立って、頭がパニックになってしまうようだ。
 こういう時はともかく基本に立ち返るのが重要。 42小節の場合は「波にもまるる」の「み」「も」「(二回目の)る」が拍の頭にある事をチェックしてもらい、 まずはそれ以外の音符を省略して歌ってもらう。この基本の拍ができてから他の音符を加えて、 (しかし拍の頭を意識する事は忘れず)徐々に慣れて行ってもらうようにすると取れてきた。 48から49小節の「菊正宗」の場合は最後の「ね」を省略して、「む」が拍の頭にある事を認識できると早かった。

 曲中のスピードが変わる部分で、「間の取り方が単調」という指摘を受けたので、 速さが変わる箇所にある休符を変化後のテンポで取るようにしてみると切り替えにメリハリがつくようになりました。

ブレス位置指定
 これまでは特にブレス位置を指定せずにメンバーに任せていたため、ともすれば旋律がぶつ切れになる事もありましたが、 昨年からは明確に指定する事にしました。今回は63小節から下三声が「夢の〜」で長く伸ばす所で、 全メンバーのカンニングブレスの位置まで指定して全体の連なりを調整しました。
 45〜57小節の間はできれば4小節毎のブレスにして滑らかに流したい所でしたが、 どうもブレスが続かないようなので47−48間のみノーブレスとして、後は2小節毎にブレスを入れた。

旋律表現
 今回日本語の曲を選ぶ気になったのは夏に多田武彦氏の講義を受けて、旋律表現の指導をする自信がついた点にあります。 とはいえ、いきなり全てを持ち込んでもおそらくは本番に間に合わなかったでしょうから、 ひとまずは「単語の頭を大きく歌う」事に限定して徹底して行った。 しかし、クレッシェンド等が絡むとどう解釈したものか結構悩まされた。
 究極は34小節目の「ゆるやかな」の部分で、 ここは「ゆる〜」が上行進行して、「る」で伸ばしている間はクレッシェンドして、「や」はさらに高い音になる。 旋律の上昇が言葉のアクセントと相反するという厄介な箇所。結果的に『「ゆ」は「る」より大きく出す。 「る」の入りを流した後からクレッシェンドをかけて「や」の直前が頂点となる。しかし、「や」は少し落として後の語は流す。 』という誠に難解な表現になってしまった。ところが、後で立教グリー(北村協一指揮)の音源を聞いてみると、 上記と全く同じ表現をしていたので妙に自信がつきました。

 ある日、某国営放送局の歌謡ショーの番組でベテラン歌手の演奏を聞くともなく聞いていると、 単語の最初の一音から二音目はオクターブ高くなる旋律があったのだが、その部分を歌手は最初の一音目を強く出すのではなく、 やや長く歌う事によって印象づけていた。確かに余り大きな跳躍のある箇所では大きくするにも限界があるだろうから良い方法である。 「両国」でも、48小節目の「菊正宗」の「きく」ではTopの旋律がオクターブ跳躍するので、 この方法を用いて最初の「き」をやや長めに歌うようにする。

 上記のような旋律処理のコツを説明して実際に歌ってもらい、 その上でさらに言葉の流れが気になった所をチェックして修正を加えていく。そうして気づいたのは助詞の所。 単語の部分より助詞の部分が大きくなるとかなり不自然に聞こえるので、助詞が旋律の最高音になっている箇所等は注意するようになった。

 前半部のポイントである「やあれ」の掛け声。これはR.K氏からの指摘で、実際にR.K氏に見本を見せてもらい、 「あ」の16部音符を強く(ただし、「や」ほどではない)歌うようコツを示す。

 58小節「レストラントの二階から」の「レス」と「ラン」の部分は四部音符一拍で示されている。 これを全て八部音符二つに分割して歌うと、どうもゴツゴツした感じで言葉にならない。 そこで、この部分をどちらも前三分の一、後三分の二に分割して歌う事にすると言葉らしくなり、勢いも出来てきた。

 合わせて歌っていると、クレッシェンド、デクレッシェンドのタイミングが一致せず、演奏効果が上がらない事があったので、 これらの表現の基本である「指定箇所の前半はほぼ最初の大きさで、後半から急激に大きく(小さく)する」という方法にのっとり、 楽譜上に実際に大きく(小さく)し始める箇所を指定してタイミングを揃えました。


結論
 ようするに合唱において当たり前に行うべき事を一所懸命こなして来たという訳です。 その点では特に目新しい練習は行ってないので、今回の文章は退屈だったかもしれません。
 とはいえ、当グループの練習はそうした基本的な事ができないという現状を見て、どうしてできないかを考え、 そしてできるようにするにはどうすればいいかを頭を捻って考え出し、 メンバーが理解して簡単に実行できるような表現をして実践する事が全てと言っても過言ではないでしょう。

 ちなみに、私がこうした「単純明解な指示」にこだわるのは、これまで私が指導を受けてきた指揮者達へのアンチテーゼです。 私自身はこれまで抽象的な指導ばかり受けてきて「さっぱり理解できない」という経験が続いていました。
 そんなある日、ミシンメーカーの縫製機器保全研修を受けた時の事でした。こうした保全業というのは所謂職人の世界ですので、 旧来はまともな指導等考えられなかったものですが、 そのメーカー(正確には大手製造メーカー全てですが)ではその職人技を定量化して万人が理解できるようにマニュアル化していたのです。 そのおかげで速やかに技術を理解する事ができました。
 翻って考えると、音楽の指導というものも指揮者が「俺の感覚を理解しろ」というようなノリが多いと思います。 しかし、それでは合唱団の技術向上の手間がやたらとかかってしまい、充分な演奏が出来ない羽目になっています。 むしろ上記のようなメーカーの精神を参考に、基礎的な事を万人が理解できるよう単純明解に説明して理解を深めていけば、 練習効率が上がりよりよい演奏が出来ると考えています。


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純正律のススメ
合唱に純正律を用いる事の長所と短所について

 当グループでは演奏に積極的に純正律を用いていますが、数年に渡る活動によって感じた長所、 短所について語ってみましょう。

長所
 長所はなんといっても純正なハーモニーの快感でしょう。 しかし、近年になって音程面や演奏時の心得について効果がある事に気づいてきました。
 私共では実践編(練習法)で書いてきたように純正なハーモニーを実現するために様々な工夫を凝らしてきました。 中でも聞いて合わせるべきパートを一つに絞った事は大きな発見だったと思います。 これまでは漠然と「聞き合う」という指示を出していたのだが、これではメンバーにしてみれば「何をどう聞けばいいのか、 どうなれば正しいのか」理解できず、悪戯に惑わせるだけでした。でも、前述の発見によって聞くための目標を定める事ができました。 自分の音と相手のパートとの2音のハーモニーならば体感できるし、自分の音を調節する事によって修正が可能であるので、 正しい音の状態という物を自分で実感できるようになり、その状態を目指して音程修正を行えば良いという明解な目標が定められたので、 メンバーの理解も深まりました。また、私にとっても細かい音程指導を行うに当たって適切かつ明快な指摘と指導を行う事が可能になり、 練習効率も良くなりました。

 ところで、この練習を続けているうちに思わぬ効果が上がっている事に気づきました。
 普通の合唱団では、音程というものは大抵指導者が旋律を聞いて微妙な高低を判断する程度で、 基本的にはメンバー個々の「まあこの辺りかな」という根拠の乏しい感覚に委ねられていると言っていいでしょう。 過去に本ページで述べていますが、人の耳は単旋律における音程誤差には寛容であるため、 約10〜20centの誤差があっても余り判らないものです。そのため、メンバー個々の微妙な音程誤差が修正される事なく蓄積されていくので、 徐々に相対音程に違和感を感じる演奏になっていくのです。
 ところが、私達が行っているようにお互いの音を聞き合うようにしていくと各所で音程に修正が行われ、 しかも縦和音を聞く場合、長い音符ならば2cent程度の誤差でも感じられるようになるので、 旋律から音程を自分で判断するのに比べてより正確に相対音程を取る事が可能になります。 しかもハーモニーを聞く事によって、相対音程が正確かどうかで明確に差が生じるため、 メンバー各々が音程が合っているかどうかを明快に体感できる事になります。 これを続けていく事により、「あたかも演奏中に音取りをしながら歌っている」ように感じられ、 全体の相対音程が一定の誤差の範囲で演奏可能になるので、より音程精度の高いシャープな演奏になっていったのです。
 この効果のため、当グループは合唱経験の浅いメンバーが中心で構成されているにも関わらず、 特に音程が下がったりするという事もなくなりました。

 また、演奏中の心理にも変化がありました。
 メンバーというものは、そこそこ正確に歌えるようになると自分の音程を過信してしまい、 音程の悪い他パートに「自分に合わせろ」(音程を下げるな)という態度を取りがちなものですが(私自身もそうです)、 全体から見れば、そうした「俺が俺が」と自己の音程を主張する事がハーモニーを乱す事になってしまうモノです。 実際、自分だけの感覚に頼っている以上、それほど正確な音程が実現できる訳がないのですから。
 しかし、ハーモニーを意識するようになってからはむしろ積極的に他人の音に合わせて自分の音を修正するようになり、 自分の音よりも全体の音、自分だけの正確さより、他パートに合わせる事によりお互いの音を正しくしようという意識が出てきました。 その事が全体の音をよりよくする方向に向いているのだと思います。
 私自身、そうした意識で歌うようになるとちょっと変わった事を考えるようになりました。
・他人の音程を変える事はできないが、自分の音程は自分の意識によっていくらでも変える事ができる。
・他人がいて初めて自分の音程の正しさを証明できる。

短所
 上述した事は協和音の多いア・カペラ作品に関しては有効なのですが、そうでない作品になると余り有効ではなくなります。 現代作品等、不協和音が多い曲になると純正調の考え方は通用しない事が多くなるためです。
 例えば、G、H、D、Fで構成される所謂属七和音の場合、現代和声で述べているように、 隣り合う二音を純正に合わせていくとHとFの音が大変汚くなってしまいます。 そのため、D、F間は純正の短三度よりも狭くとる必要があります。そうなると、純正以外の音程感覚を掴む必要がでてきます。
 といっても、不協和音の場合は多少の音程誤差があっても全体の響きには余り影響がありません。 それどころか、下手に和音中の特定の2音、3音を純正に取る事がかえって裏目に出る事もあり、 むしろ平均律の音程のままの方がより良い響きになる場合すらあります。 そうなると不協和音の多い現代音楽作品等はむしろ、面倒くさい理論をこねくり回したり妙な感覚を掴むよう努力するよりも、 平均律で取ったまま一気に歌った方が手っ取り早くそれらしいハーモニーになるでしょう。

 ところで、上記をふまえると今度は選曲の問題が発生します。
 伴奏付の作品、まだピアノと合唱が別の音楽を作っている曲ならばともかく、 伴奏が合唱の音をトレースしているような作品の場合はともすれば伴奏が合唱の邪魔するようにもなるでしょう。 もっとも、上三声は基本的に伴奏を聞かず、バスのみが所々で伴奏の音と合わせるようにするという方法もありそうですが。 まあ、大体邦人作品ではなかなか適切な作品が見当たらないというのは確かでしょう。私自身、毎年選曲に苦労しています。
 上述の理由だけでなく、楽曲によっては旋律処理において純正調で歌うのに向いていない気がする事があります。 というのは、旋律と和音の展開においてしばしば、旋律として心地よい動きが和音を純正で響かせるための動きと相反する事がある等、 曲そのものが純正で歌われる事を想定していないと感じさせられる場合があります。
 また逆にある曲では、不協和音が旋律の展開によって特に意識せず歌っていても適切なハーモニーに仕上がるという事もあり、 その和音ならではの適切な処理に自然と到達する展開を意識して作られているのだろうかと思う曲もあります。 その事から不協和音をうまく響かせるための音程配置やそれを導くためのテクニックがあるのではないかと思い、 現在考察しております。


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本物の響き
SVANHOLM SINGERS高岡公演の感想

 去る6月25日、富山県高岡市の高岡文化ホールで行われたSVANHOLM SINGERS(スウェーデン)の公演を聞いてきました。 珍しい北欧の男声合唱団の日本公演という事でとりあえず聞いておいて損はあるまい・・・と行ってみたのですが、 予想を越える素晴らしい演奏を聴かせて頂きました。

 会場に到着したのは5時半過ぎ頃、すでにロビーには地元学生合唱団のメンバーと思われる制服姿の中高生が列を作っており、 地元の合唱関係者が盛り上げに尽力されていた事が伺える。この分では当日券があるかも心配されたが、 特に問題はなく、会場に入っても中央の席に陣取る事ができた。
 開演前にパンフレットを熟読する。それによるとこのSVANHOLM SINGERSは1997年に同じ高校の出身者で結成、 当時は「カントーレスカテドラレス」という名称で「アペルドルン国際男声合唱コンクール」に参加して金賞、 観客賞(観客の投票による賞)を受賞。同年、「ヨーロッパで最も優秀な合唱団1997」と称えられる。 翌年、現名称となり、その後も各コンクールで高い評価を受けているとの事。メンバーは18〜25歳、 ほとんどがルンド大学に通っているという。また、日本公演は99年に続いて2度目である。

 開演、ステージには20名程の若い男性が2列で並ぶ。指揮者が若い女性、 それも体の線が出るワインレッドのロングドレスで、しかも膝までスリットの入ったもの、という衣装で現れたのにはドキッとした。 ところでどうでもいい事だが、この指揮者、音取りに音叉を叩く時、膝で打つために背中を丸めて右足をちょこっと上げるのだが、 客席に少しお尻を突き出すようになるのがどうも格好悪い。足と背筋を伸ばして手か指で叩いて欲しい所だ。
 演奏開始。最初はスウェーデンの男声合唱の定番とも言える「Hey Dunkom」(乾杯の歌)。 !!純正協和音をさも当たり前のようにハモらせていく脅威的な音程精度。 発声は全体に響きを高く上に抜いていくため、日本の男声合唱団には抵抗があるかもしれないが、ハーモニーを表現するには最適の発声。 豊かな響きで美しいハーモニーを聞かせてもらい、脳内でアルファ波が発生している事が感じられる程でした。

 1曲目が終わった所でメンバーの一人が下手側のマイクに移動し、有難い事に日本語で解説してくれる。 それによると、その解説しているメンバーが子供の頃に富山にいた事があったため、この日本公演が実現したとの事。 なるほど、今回と99年の日本公演は東京と北陸でのみ開催のようだが、それにはこのような理由があったのだ。

 前半はスウェーデンの作曲家によるロマン派の定番的な曲が並ぶ。大体聞いた事のある曲ばかりだが、この団体が歌うと印象が違う。 有名なオルフェイ・ドレンガル(以下OD)の演奏は人数が多い事や声楽家的な発声である事からダイナミックさはあるが、 繊細なハーモニー表現に欠ける気がしていたのだが、SVANHOLMの場合、 前述した音程精度でその曲が持っているハーモニーの展開による面白さを提示し、また、曲想としての面白さをも表現しており、 合唱音楽の奥深さを感じさせてくれる。この団体の場合、 20名という人数のためにメンバー一人一人が全体のハーモニーを感じながら自身の音程を調節して音程精度を向上させる効果を上げているようで、 小人数である事を長所にしているかのように思えてくる。

 途中でBarソロが入る。解説によると、このソリストも結成時のメンバーであったのだが、その後ルンドを去り、 コペンハーゲン王立音楽大学で声楽家としての勉強をしているため、 現在では合唱団の声質と合わなくなっているのでソリストとしてのみ参加しているという。 演奏を聴くと、確かに合唱団が作るハーモニーとは溶け合えない発声になっている事が解る。 その代わり、ソリストとしての効果は上がっていた。

 ところで、このステージでのパート配置は下手からSec、Top、Bass、Bar。さすがにこれだけのハーモニーを表現する団体では、 日本の合唱団のようにBassを端っこに置いておくという勿体無い事をする気はないようだ。

 休憩に入る際、放送でこのSVANHOLM SINGERSがレコーディングしたCDをロビーで販売しているという事だったので、早速向かう。 ある意味、こちらが本命(富山に来た理由)だという説もある(^^;)販売していたのは99年に収録したCD1枚だけ。 というか、まだこの1枚しか製作していないようだが。この団体のCDならば、もっとたくさん聞きたい所である。
 CDは違う指揮者による演奏のようだ。曲想がかなり激しく表現されている演奏もあって楽しめるのだが、 こちらでは所謂定番曲が少なく、現代曲が比較的多いせいか、この時の演奏のような純正の響きは余り楽しめなかったのが残念。

 2部開始前にSvanholm Singers Boys Bandという5人のメンバーによる演奏がある。こちらは所謂アカペラ的な演奏。 曲中に協和音が余りなく、旋律と不協和音で攻める曲目なので、日本の同様の団体と比べてもそれほど違いは感じられなかった。 (不協和音の場合は余り高い音程精度は要求されないため。)

 後半のステージは現代作品が中心。中でもSinging Apesという曲は、以前ODの演奏したCDで聴いた事があったが、 演奏状況が解らないため意味不明の曲という印象を持っていたのだが、今日の演奏ではメンバーが指揮者を無視して雑談したり、 反発して奇声を発したり、一人が楽譜を床に叩きつけてステージから立ち去ったりというように演技を見せてくれたので、 合唱団の反乱という意味での演奏効果を見せてくれて、なかなか面白い曲だと感じさせてくれた。  また、E.SUCHONのDziny Domは速いテンポと激しい旋律が心地よい曲だが、 それをハーモニーの面からも美しく仕上げて演奏されたのには驚嘆しました。この曲は元々、 「3つのスロバキア民謡」の中の1曲なので、できれば3曲とも聴きたかった。
 ただ、この後半のステージは疲れてきたのか、Top、Barが旋律面で所々音程が下がって来た箇所があったのが残念。 それでも、ハーモニーの決め所で聞き合って、キッチリ音程を修正してみせるのにはさすがと感心させられました。 私の目指す領域でもあります。

 終演後も観客の要請に応えて数曲のアンコールを披露してくれた。 幕が下りた後、ロビーでメンバーのサイン会となる。女子中高生に囲まれて嬉しそう。でも、彼らからすれば子供にしか見えないかも。 解説をしていたメンバーは日本語を理解できる事から、次から次へと話しかけられて大変そうであった。 私も一人のメンバーを捕まえて、CDにサインをしてもらいながら、いくつか話を聞いてみた。 もっとも、私の英語は無茶苦茶なのでコミュニケーションに往生したのは言うまでもない(^^;)
 「(メンバーが在籍しているという)ルンド大学にはルンド大学学生合唱協会(ここだけスウェーデン語の正式名称で発音する。 よりいい加減な発音であっただろう。)という男声合唱団があるそうだが。」と話をふってみると、 「メンバーの何人かは在籍している。」と言って、ロビーにいる何人かのメンバーを指差して教えてくれた。
 ルンド大学学生合唱協会は北欧ロマン派の曲をレコーディングして何枚かCDをリリースしており、 私にとって魅力的な作品を多数紹介してくれた有難い団体である。
 その他、並び方について聞いて見ると、今日のような並びの他にBass系を後ろ、Tenor系を前に置く並びも用いると教えてくれた。

 会場の盛況ぶりに気をよくしたのか、メンバー達が1曲ロビーコールをサービスしてくれて嬉しかった。
 やがて世話役の方々がメンバーを促して他へ(おそらく打ち上げ会場か)移動させて行ったので、ようやくお開き。

 純正の和音を生演奏で楽しめた大変素晴らしい演奏会でした。このSVANHOLM SINGERSには是非また来日公演をして欲しいものです。 これほど素晴らしい演奏をもっと多くの土地で演奏してもらい、 声による純正ハーモニーの良さをたくさんの人々に体感して欲しい。そんな気持ちを強く感じた演奏会でした。


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第二十回2002/ 2/14
目で見るオルゴールの調律

 年末年始に京都、高知で立て続けにアンティークオルゴールを見る機会がありました。
 その際、オルゴールの内部を覗いてみると、 ディスクについているピンで弾かれて音を奏でる櫛状の金属片があり、その櫛の一本一本の長さの差異で音階を構成しているのですが、 その長さの変化にかなり特徴のあるオルゴールがありました。これはやはり調律の違いからくるものと思われます。 そこで調律から導き出される櫛の長さの変化について研究してみました。

 オルゴールの歴史は19世紀の半ばに始まり、演奏家がいなくても音楽を楽しめる手軽さがうけて広まったものの、 エジソンの蓄音機の発明によって廃れてしまい、現在は小さなアクセサリーの扱いになっています。
 ところで、オルゴール全盛だった19世紀後半という時期は調律の歴史からみると平均律が調律の主流になってくる転換期でもあります。 実際、20世紀に作られたと表記があるオルゴールを見ると櫛の個々の長さはキレイな放物線を描いており、 平均律が用いられていたらしい事が想像されます(理由は後述)。 ところが、概ね19世紀に制作されたとされるオルゴールの内部を覗いてみると意外にも、 いびつと言う表現をしたくなる程不規則な長さの連なりとなっているのです。 バラバラな変化量の櫛が4〜5本続いたと思うと次の2〜3本はやや安定し、また4〜5本がバラバラに変化するという不思議な音階構成。 しかもそれは19世紀に制作された何台かのオルゴール全てが(完全に同じではないにしても)そうでした。
 しかし、どのような調律がなされていたのか係員に聞いてみても知らないとの答え。 演奏を聞いて調律が解るようなら早いのですが、残念ながら私はそこまで耳はよくありません。 (純正律コンサート2000/ 2/16の時は同じディスクを調律を替えたオルゴールにかけたため違いが解りました。 )そこで、目で見て判断できるように各種調律から導かれる櫛の長さの変化を算出してみましょう。

 代表的な調律法として平均律、ピタゴラス律、ミーントーン(中全音律)、キルンベルガー調律法を挙げて長さを計算してみます。 尚、ピタゴラス律とミーントーンのウルフ(悪い響き)はGシャープ−Eフラット間に、 またキルンベルガーのミーントーン部はC−G−D−A−E間にもってきてみました。
 さて、セント値から櫛の長さの比率を求める方法です。現実には様々な要因があるので一概には長さのみからは判断できないでしょうが、 理論値という事で求めて見ます。基本的に長さが短い程高い音を出す事になり、 長さの比率はオクターブの違いのある音同士で高い音は低い音の半分の長さ、さらにオクターブ上の音はさらに半分、 4分の1の長さになります。ここではオクターブ内の各音(A〜Aまで)のみの比率を考えてみましょう。
 各音の周波数は以下の式で表せます。

440×2y/1200Hz(yは0〜1200) A=440Hzの場合
 ここで、高いAの音を出す櫛の長さを1(低いAを2)と考えると各音の櫛の相対長さは(波長)=1/(周波数)より導けます。
2/2y/1200=21200-y/1200
 上記の式から導かれた数値を下表に示します。(セント値は少数点以下1桁、相対長さは下4桁有効)
音名平均律ピタゴラス律キルンベルガーミーントーン
A 0.00.00.00.0セント値
2.00002.00002.00002.0000相対長さ
B 100.090.3106.4117.1セント値
1.88771.89841.88081.8692相対長さ
H 200.0203.9198.6193.1セント値
1.78181.77781.78321.7889相対長さ
C 300.0294.2310.3310.3セント値
1.68181.68741.67181.6718相対長さ
Cシャープ 400.0
407.8400.6386.3セント値
1.58741.58031.58691.6000相対長さ
D 500.0498.1503.4503.4セント値
1.49831.50001.49541.4954相対長さ
Eフラット 600.0588.3604.5620.5セント値
1.41421.42381.41051.3976相対長さ
E 700.0
702.0696.6696.6セント値
1.33481.33331.33751.3375相対長さ
F 800.0
792.2808.4813.7セント値
1.25991.26561.25381.2500相対長さ
Fシャープ 900.0
905.9898.6889.7セント値
1.18921.18521.19021.1963相対長さ
G 1000.0
996.11006.81006.8セント値
1.12251.12501.11811.1181相対長さ
Gシャープ 1100.0
1109.81102.51082.9セント値
1.05951.05351.05791.0700相対長さ
A 1200.01200.01200.01200.0セント値
1.00001.00001.00001.0000相対長さ
 これらを踏まえた上で櫛を描いてみましょう。尚、長さの変化を強調するため、変化する部分(1〜2まで)のみを描いています。 また、長さの変化の違いを示すために、各中心点同士を直線で結んでみました(赤い線)。 見えにくい場合は解像度を下げて見てください。

平均律
平均律の場合の櫛の長さ
 全ての音程間の周波数、波長が同じ比率となる平均律ならではのキレイな放物線が描かれます。 20世紀に制作されたオルゴールの櫛は全てこのような曲線を描いていました。
ピタゴラス律
ピタゴラス律の場合の櫛の長さ
キルンベルガー調律
キルンベルガー調律の場合の櫛の長さ
 平均律、キルンベルガー調律はある意味ピタゴラス音律の変化したものという解釈も成り立つ(完全五度の広さがほぼ同じ、 もしくは長さを調節して五度円を閉じている)ので平均律に近い曲線を描くかとも思いましたが、 微妙にギザギザがつきました。
 ピタゴラスの場合は大体、一本ごとに急になったり緩やかになったりを繰り返していきます。 キルンベルガーはミーントーン部(狭い五度)がある影響か徐々に緩やかになる箇所が生じています。
ミーントーン(中全音律)
ミーントーンの場合の櫛の長さ
 当初の予想通り、最もいびつな形を示したのがこのミーントーン。おそらく、この音律だけは狭い五度を重ねたものだからでしょう。 各半音間で急激に長さが変わったり、緩やかだったり、かと思うとD−E間はほぼ均等に緩やかになってみたり、 かなり極端な線を描きました。
 私が見たオルゴールの調律がどれであったか確定はできませんが、平均律でない事だけは確実でしょう。 今後は上図を想像しながらアンティークオルゴールを鑑賞することにしますか。

 ところで、本稿を作成していて気になる事がありました。
 「響きの考古学」(藤枝守著 音楽之友社)によると、19世紀半ばピアノが大量生産されるようになり、 そのピアノを調律する際の作業効率アップのために調律法を統一する必要性に迫られ、平均律が世に浸透していく事になりました。 そんな時代背景の中、オルゴールの調律もその影響を受けてもおかしくなかったのではないかと思うのです。
 しかも、調律がやや面倒な鍵盤楽器に比べると、オルゴールの櫛は平均律調律すると上図のように放物線を描くので、 ギターのフレット等と同じく視覚的に理解しやすく、調律は楽なのではないかと想像されます。 また、その際、櫛が形作る放物線は製作者の視覚的な美意識をも刺激するのではないか、とも考えられます。 (これはギターのフレットも同様。)その意味では鍵盤楽器以上にオルゴールの方が平均律を受け入れ易かったのではないかと思います。
 それにも関わらず、こうした古典調律法を耳でチェックしながらヤスリをかけて調律していったであろう事に製作者のコダワリを感じずにはいられません。 耳に心地よい響きを求めて櫛の長さを一つ一つ決めていった製作者の姿を想像すると頭が下がります。

 余談ですが、ある所で、 テレビ東京「なんでも鑑定団」で500万の値をつけたアンティークオルゴールの演奏を聞く機会がありましたが(これは20世紀に入って製造されたもの)、 平均律調律のため唸りが目立ち、古いオルゴールの響きの方が美しいと思いました。


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第二十一回2002/ 6/ 6
ハーモニー感覚の違い
Renner Ensemble Regensburg日本公演を聴いて

 ある日、Web上でドイツの男声合唱団が日本公演を行うという情報を得て行ってまいりました。 昨年のSVANHOLM SINGERSの時と同様、特に名前を聞いた事がある訳ではないのですが、 海外団体の日本公演という事でとりあえず行ってみる事にしたのでした(お茶の水スクエア、カザルスホール)。

 メンバーは16名。プログラムはルネサンス期から現代までの、ややマイナーな作品を時代毎に並べたもの。 特筆すべきは最初の3曲の演奏。これらはルネサンスとバロック期のものだが、協和音が多用、 もしくは不協和音との対比が大変効果的に使用されていました。こうした協和音がとても美しく、 またさも当たり前のように決めてみせるのには驚かされました。

 私共も純正協和音を身につけて実現しようと努力してはいますが、まだまだ練習中でさえ、 よ〜く聞いて「これなら純正の響きかな」と判断する程、微妙なハーモニー感しか出せない、というのが実情です。 ところが、彼らの演奏はぼんやり聞いていてもハッキリ判る程、純正協和の快感を覚え、 しかもそれをさも当然のように全ての協和する箇所で実現していました。まさに「ケタ違いの音感」でした。

 象徴的だったのは、後半、日本の男声合唱団の愛唱曲として有名な「斎太郎節」を演奏した時の事(ただし一部省略)。 この曲の最初の和音は下からE、G、H、Eの短三和音なのですが、Barが担当するG音が日本の合唱団の演奏時より明らかに高かった。 純正協和すれば平均律より15.6cent高くなる事は理解していましたが、実際の演奏で明確に認識させられたのは初めてでした。 後でオープニグを務めたアンサンブルプレイアード(日本の男声合唱団)と合同でこの曲をアンコール演奏したのですが、 その時は同団のG音が通常の日本の合唱団と同様に低く、日本とヨーロッパの合唱人のハーモニー感覚の違いを痛感させられました。

 この演奏会の後半ではロマン派や現代曲をダイナミックかつ情感タップリに演奏され、表現力の豊かさを見せて頂きました。 ただ、これらの曲は不協和音が多かったり(不協和音のハーモニー感は上手い日本の合唱団のものと大差を感じなかった)、 曲想の激しさでハーモニーが聞こえてこない事も多く、ハーモニーは余り楽しめなかったのが残念。

 正直、今回の演奏会は大変楽しかったのですが、ハーモニーの表現力の差をまざまざと見せつけられ、 自分達の目指す道の険しさに暗澹たる気持ちを抱かされたのでした。


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