(6)香川県の人物発掘



新名 丈夫

『政治−この事実を黙って見のがせるか』
まえがきより

「戦争はもう終わった!」と言われ、新聞は、「独立」だとか、「復興」だとか書き立てている。しかし、国民の生活はいっこうによくならず、世相は悪くなる一方である。 「みんな政治が悪いからだ。」−国民は政治にたいしてニヒリズムにおちいっている。

 その一方では、新聞はどうして本当のことを書かないのかと、なにか事あるたびに、私達は責められる。「新聞は、アメリカに都合の悪いことは書かない。 われわれ国民の立場に立ってものを言わない。政治が悪いのに、それを攻撃しない。」という不満が非常に多い。

 いったい、これは何に原因しているのか。新聞記者の一人として、私はその「弁明書」を書いてみたいと思った。「弁明」といっても、弁解ではダメだ。 いわゆる野党的立場に立って、考えてみたいと思ったのである。

 新聞記者も、個人としてはみんないろんなことを考えている。民衆の立場にたって、ものを考え、政治の腐敗を罵り、弾圧や警察の暴虐に痛憤しているものが決して少なくない。 それだのに、なぜ、その「良心」が新聞に反映しないのだろうか。世の中には、いつの時代にも、ものが本当に言えない世界というものがあるようだ。

 これは、新聞社の機構のせいだろうか。それとも、新聞が一つの商品であるということからくるのだろうか。 いや、そんなことよりも、やっぱり、今の社会の仕組みからきているのだと言えよう。新聞だけを社会からきりはなして考えることはできない。 それを書こうとして、ハタと大変なことに気がついた。というのは、今日国民は、新聞が日常くりかえして使う大見出しの言葉のために、「ものの見方」が、 すっかりゆがめられてしまっているのではないか、ということである。本当は、「独立」が失われたのに「独立」と書いたり、本当は「占領軍」なのを「進駐軍」 と書いたり、憲法が抹殺されるのに「憲法改正」と書き、未曽有の「原水爆時代」であるのに「原子力時代」とすりかえているのである。

 このような「大見出しによるマス・コミ」という手が、アメリカの最近の特徴になっている。 もっとも大切な場合に、言葉がすりかえられてつかわれ、その結果、お伽話ばかり聞かされるということになっている。 悲しいことには、日本の新聞も、このまちがった言葉を、そのまま「大見出し」に使っているのである。

 これは大変なことだ。そこで、私は、今日の日本が、いったい、どんなことになっているか、これから、どんなことになろうとしているか。 マス・コミによる流通観念をひっくりかえして、ズバリと、本当のことを書いてみたいと思ったのである。

大事件や大問題は、必ずしも、新聞に出ないわけではない。 しかし、あらゆる大事件、大問題、ひいては日本の運命に関かんする重大なことについて、一番肝心なこと、核心的なことは、少しも知らされていない。 そこで、私は、書かれていないこと、書かれていても、肝心なことが抜けていること、それを拾いあげて書いてみることにした。 しかも、自分の体験で裏打ちして書いてみることにした。

 戦争中の私に関する事件まで書くのは、嫌でたまらなかったが、それを書かなければ、あのころの日本が分からないと言われて、目をつぶって書くことにした。 新聞記者がものを書くと、とかく手柄話や楽屋話、でなければ、真相はこうだという暴露になりがちであると、よく言われる。 私は、そんなことより、事態の本質を突こうと心がけた。

 この本には戦前の話も多くはいっているが、戦前と戦後とでは、その間に十五年のギャップがあり、戦後の人は戦前のことは、ほとんど知らないからである。 暗黒に閉ざされた戦前の事実が本当に自由に語られ、研究されはじめたのは、戦後のことである。といっても、私自身は学者ではないし、勉強も足りない。

したがって、太平洋戦争のためにラッパ吹きを演ぜざるを得なかった、一人の新聞記者のこれは悔恨の書でもある。

昭和三十一年七月




(10)-A 宗吉かわらの里

(10)-B 青い目の人形『ジュリーの海&空』




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